皆殺し編の見方

http://d.hatena.ne.jp/./kagami/20051231#p1を見て思ったこと。
「殺人」(人為による死)を扱うコンテンツは、犯人(=殺人者)は必ず「悪」として扱わなければならない。「殺人」が悪でなければ、「殺人者」は悪ではなく、普通の存在でありわざわざ描写するに及ばなくなる。
つまり(殺人を含む)ミステリは、必ず誰かを悪者にする必要がある。
で、誰を悪者にするかについては、「ヴァン・ダインの二十則」の17条にあるように、殺人に関するずぶの素人がいい。
しかし素人では難しい場合もある。
たとえば、「かくかくしかじかな事件(殺人)が起きる」(この場合は2,000人住人大虐殺)ことが思考の基点ならば、犯人がずぶの素人では足りなくなる場合もあろう。ならば、必要な能力(装備・人員・権力その他)を持つ団体・組織を連れてきて、役を与え動機を整えてやらなければならない。
ただこの方式は、リンク先の如く悪役にされた団体もしくは団体を擁護する勢力の反発を食らう可能性もある。しかしながら、脊髄反射的に反発する前に本当に反発していいのかを考えてみるべきだ。
この場合は「自衛隊を悪者にしたから悪い」のか「誰かを悪者にすること自体が悪い」のかはっきりさせるべきだ。もし前者であるならば、逆説的に世の中には「無条件に悪役にしていい団体組織」が存在することになる。たとえば、フリーメーソンなんてどうだろう。かなりの人が悪扱いしてないか? 逆に後者であるならば、そういう人はもうミステリーを読むべきではない。ミステリーは誰かを悪にしなければ始まらないのだから、その前提に対して怒るのであれば最初から合わなかったのである。速やかにブックオフに持って行こう。
また、皆殺し編を読んで自衛隊の人が本当に怒るのかどうかも疑問だ。「たかが」物語じゃないか。田中芳樹を読んで、悪役にされた日本の官僚が怒るのか? ありもしない怒りを代弁していないか? 
まあ、この辺は各個人の感情にも踏み込んでくるので、がたがた言いたくはないが話を本筋に戻して。
ずぶの素人だけを犯人にすることもできるだろう。しかしそうすると、誰の反感も買わないかわりに、起こる事件は個人の力の範囲内で起こされる「小さな」事件に限定されてしまう。
それはちょっとつまんないような気がするね。