労働の意味

エロ本主義を超えて
常々考えているのだが、そもそも労働とか発展とかは何のためなのか、と言うこと。
社会を維持するのに、一定の生産物を作る必要があるとする。そこで、ある発明がなされる。この発明があれば、それまで多量の資本を必要とした生産の一過程を、時間的労力的経済的に短縮できるとする。そしてこれは善とされた。
石器が鉄器に変わったのもそれだし、竿から網に変わったのもそれだし、水力発電から火力発電にシフトしたのもそれだ。こういう万のオーダーの発明発見応用によって、生産手段をひたすら効率的にしてきた。
改めて問う。このサイクルは、極小の労働によって極大の生活ができる社会を実現するためのものではなかったのか。その全ての構成員が、最低限の労働で、まともな衣食住、そしてエロを手に入れられる社会。それを目指すものではなかったのか。
そして、それができる社会ができた。目的は達成されたはずなのに、気がつくと全く別の問題が、あちこちから噴出していた。
……一体何が間違っていたんだろう。