対陣の将に敬意を

革命的非モテ同盟跡地より。
 お久しぶりと言うべきなのでしょうね、この場合。
 私としては絶望先生で「何がしたかったんでしょうね」とネタにされる*1ような活動からはすっぱり足を洗って縁切りした方が、健康とか色々のためにいいんではないかと提案するのみであります。まあ、今さら引き返せないとか、一度裏切った人間は二度と信用されないみたいな人生訓があるならあるでしょうがないですが、あなたのことを心配している人が、この世のどこかにはいると言うことを時折思い出してください。
 さて。
 まず、最初に明記すべきことは、私の考えが元の文章を書いている時に比較して変っていることです。
 具体的にどこかと言うのは、調べる気力が湧かないのですが、「むしろ、政治主張であるからこそ押し付けが許される」と言う主張をはてな内で紹介していただきまして、それを読んで以来であります。私はこれを相当な否定的心理バイアスがかかった状態で読んだのでありますが、しかしその状態でさえこの主張には反論できなかったのです。
 要約すると、相手のヘッドフォンを無理やり外して「足をどけろ」と言う政治的主張ができなければ意味はない、と私は解釈しました。政治的主張は、そもそもそれを聞きたがらない人間の耳目を無理やり向けさせ、怠惰に現を抜かす人間の目を覚まさせるものでなければならない訳です。
 その意味において、立川ビラは(ビラを配ることで本当に効果があるのか、あったのかと言う技術・戦術の面での評価はさておいて)正当な行為であったと現在では認めております。
 この場合、ビラが侵襲的であったのは、必ず見なければならないポストに入れられる故でしょう。ポストとは、国民にとって欠くべからざる物(たとえば、国民健康保険とか所得税とか市民税とか固定資産税とか保険会社の請求とか電気代とか水道代とかガス代とか町内会費とか、ええまあ、そういう大事な書類ですね。皆さん、税金はきっちり納めましょう)が配られる場所であり、そこに混入できれば一度は読まれることは必須、つまりは侵襲的であります。
 翻って、テレビをザッピングしている時に「お母さんです」とヘルメットを渡さ*2れたり、何かを開いて「やっぱりいないんじゃないですか」*3とか、沙都子の叔父を鉈で黙らせた後で廃冷蔵庫に入れてみる*4なんてシーンを見てしまい「これを作ったのは誰だ!」と怒り狂って厨房に*5駆け込んだとしても、それはギリギリで「でもあんた、積極的に情報を無作為に集めようとしてたんだろ?」とつっこむことができます。ニュースに限定して欲しいなら最初からニュースチャンネルを開けばよい訳で、それを限定しなかったために入ってきた情報に文句を言うのは筋違いではないでしょうか。レストランに入って「なんかうまそうなもんねえかなあ」ときまぐれシェフのきまぐれオススメを頼んでおいて怒るが如しです。料理とおおざっぱに頼んだのであれば、ササン朝ペルシャ時代の兵士の携帯食腐敗寸前バージョン*6が出てこようとも、料理は料理に違いないのですから、そこで文句を言うのは理性的ではないのです。
 さらに言うなら私のような地方在住者にとって、深夜アニメなどと言うものは放送すらないことが多々あり、「ザッピングしていたら目に入る」なんてことがあれば「奇跡はあるよ、ここにあるよ」*7と拍手喝采したいくらいで、毎日ニコ動の違法アップロードを見るべきか見ないべきかしかし仮にも図書館につとめた人間が著作権を軽視するような所業をするのも憚られるしと、悪魔の甘美な囁きに耐えているのであります。この悪魔が眼鏡っ娘でなかったのが幸いです。
 アニメ者の地方格差についてはさておいて、現在のアニメは不必要なまでに自主規制の名において見るためのハードルを上げており、これ以上あげたら市場が崩壊するところにまで来ていると私自身は考えております。本来は、政治的主張に限らず、どのような表現であっても侵襲的にならない限りは保護されるべきと言う原則からすると、まさに必要以上に卑屈になっているのが現在のアニメ業界でありましょう。そういうアニメ業界をつかまえて「情報の押し売りだ!」と非難するのは、いささか道理が見えていないように思われます。

*1:

さよなら絶望先生(13) (講談社コミックス)

さよなら絶望先生(13) (講談社コミックス)

*2:Vガンダム

*3:スクイズ

*4:ひぐらしのなく頃に罪滅し編

*5:海原雄山。最終回の変貌ぶりは涙なしには……

*6:武蔵野妖精迎撃隊

*7:ONE〜輝く季節へ〜