まずは約束通り

不快感至上主義の矛盾について - 過ぎ去ろうとしない過去

  1. 思想信条の押し売りはするな。ウザい。街宣右翼のスピーカーと同じくらいに鬱陶しい。
  2. 手段選べ。隙の多い手段を使ったんだから、そこを逆手に取られるのは戦術ミス。自業自得。それを自覚しろ。

1=その思想信条の訴えの妥当性・切実性に関わり無く、俺が不快に思ったものは消えるべき
2=集団Aが集団Bに不快に思われたとき、その不快感が集団Bの誤解や偏見であったかどうかに関わり無く、それは「隙の多い手段を使った」集団Aの責任である。

 誤読されているようなので、訂正を求めます。

1について

 不快であっても「いなくなるべき」とは言いません。
 不快な存在は消えてしまえ、とはよく妄想することですが、それが実現不可能な妄想であることは確かです。AがBを不快に思うなら、CはAを不快に思うかも知れません。全ての人類から不快に思われない存在などあるのでしょうか? 「不快な存在は消す」ことが正しいのだとすれば、その内地上には誰もいなくなりはしませんか? その方が人類以外の動植物にとってはいいことかも知れませんが。
 だから、どんなに不快に思ってもぎりぎり最低限存在することだけは、お互いに許すべきです。そしてできれば、触れ合わないようにゾーニングでもしましょう。

2について

先日、児童ポルノ法改正で二次元が規制されそうになったとき、規制の根拠の一つが、女性当人の「不快感」や「危機意識」だったわけですが、ネットではみんな「ハァ?不快感で表現の自由の規制ができるかよ!」と言っていました。

 ポルノを作っている人は、女性に見てもらいたいから作っている訳じゃありません。わざわざ「金を出してでも欲しい」と言っている人のために作っているのです。作る人と買う人が内輪で仲良くやっているところに突然乱入してきて訳のわからない思想の押し売りをした(している)のは、規制派の女性の方ではないですか。
 リンク先の方は、

集団A 集団B
立川テント 住民
二次元オタク 児童ポルノ改正派

とお考えのようですが、実は逆です。

集団A 集団B
立川テント 住民
児童ポルノ改正派 二次元オタク

 念の為にもう一度はっきりさせますが、「立川テントが、平和に暮らしていた自衛隊官舎に不法侵入した」ことは、いい加減認めてはいかがでしょうか。招かれざる客であったことは確かなのでしょう?
 そして児童ポルノ関連については、「児童ポルノ規制派が、平和に暮らしていた二次元オタクに難癖をつけた」のです。
 プライベートな空間に押し入ったのは誰でしょう? 他人のプライベートを尊重しなかったのは誰でしょう。あなたの思想・信条は他人のプライベートを犯してでも広めるべき価値があるのですか? その価値は人類普遍のものですか? あなたには価値があるのかも知れない。けれど他人には全く価値がないのかも知れない。そこには思い至りませんか? 多様な価値観が存在することを認めるなら、他人のそれをそっとしておくべきではありませんか? 子供の頃「人の嫌がることはするな」と言われませんでしたか? それとも「人が嫌がることをしろ」と言われて率先して嫌がらせをしたりしませんでしたか?

余談

 世の中のほとんどは「金」に還元することのできる事物です。それについて語ることは、汚いと言う印象を与えることはあっても、恐れられることはあまりありません。何故ならば、金の話はほとんどの人間が理解できるものだからです。ほぼ全世界の共通言語なのです。
 しかし、政治・宗教と言った「思想」は、金で語れません。金で語れる部分はありますが、そうでない部分の方が本質です。かつて左翼が内ゲバを起してお互いに殺し合ったことがあります。思想のみを言語にしたためだと私は考えています。思想はその人本人だけのもので、他者との共有ができません。思想家とその弟子の思想は似ていても違うものです。なので思想では一度起きた対立を解消することがまずできません。対立が続けば行きつく先は容赦なき殺し合いです。だから左翼は殺し合ったのだと考えています。
 逆に思想が違っても、金が通じれば対話はできるのです。ニコニコ動画JASRACなどが最近対話の成立した例ですね。いい例とは言いませんが。言いませんよ。決して言いませんよ。

さらに余談

政治的訴えを届かせるには、どのようにすれば良いのでしょう?

  • 選挙
  • 政治家・議員・官僚に口利きしてもらう

くらいしかないですね、今のところ。

さらにさらに余談。ピザ屋について

「ピザ屋はよくて政治屋のビラが悪いのはけしからん」と言う意見がありますが、それこそ余計なお世話だと思います。
 ピザ屋と政治屋を区別するのもまた、思想・信条の自由じゃないでしょうか。ピザは食べたらおいしいですが、政治は煮ても焼いても食えません。私としてはピザ屋さんを歓迎して政治屋を追い返すのは、私に対する有用度を比較してごく自然なことです。ああ、念のために言っときますけど、政治屋さんだったら右でも左でもどっちも同じ対応です。宗教屋さんならもっと激しく追い返します。……私の立場からすると、宗教屋さんは税金払ってくれませんからね。布教活動をしない宗教は好きです。特に禅宗は大好きです。
 でもって、さらに念のために言っておきますが、カエレ!と叫んでもシネ!とかは言わない訳です。当たり前です。左翼の内ゲバじゃないんですから、気に食わないからって命の遣り取りまでしてたまるもんですか。近代国家に生を享けて教育を受けた人間の所業じゃないですよ。
 政治屋さんもいてもいいですよ。でも、俺に政治の話しても取り合わないから無駄ですよ。あんまり話しかけたらストーカー規制法の適用を考えますよ、と。それの何が悪いことなのでしょうか。