ベアトリーチェの動機に関する仮説

 以下、ベアトリーチェと言った場合は、「六軒島の」ベアトリーチェのことを指す。TEA PARTYでゲラゲラわらっているのは別存在であると言う前提で話す。
 そもそも、ベアトリーチェが六軒島をぐるぐる繰り返させている理由はなんだろう。
 そこで仮説を立てる。ベアトリーチェの勝利=全員が魔女の存在を信じることが、ベアトリーチェを島から解放させる条件であり、ベアトリーチェの敗北=魔女を完全否定することは、ベアトリーチェの消滅の条件である、と。
 従って、六軒島のゲームはベアトリーチェにとってもリスクがあるゲームだが、しかしそれは魔女本人や金蔵によってさんざん繰り返されているテーゼである「リスクなくして奇跡なし」とも合致する。ベアトリーチェにとっては、ゲームは自分を解放する魔法の儀式であるとも言える訳だ。
 ベアトリーチェは現状、誰かがいると信じなければ現実に介入できない希薄な存在であり(特に自分を直接知覚できる真里亞誕生までは、金蔵と源次の認識によってしか存在できなかったはず。金蔵はベアトリーチェを知覚できなかったが、しかしベアトリーチェが存在していること自体は疑っていなかった。「物陰で笑ってるんだろう」と)、その状況を脱出するために力を蓄え、六軒島の儀式のタイミングを計ってきた。
 そもそも人間を殺すと言う行為は、人間の認識によって存在しているベアトリーチェにとっては、存在の基盤を切り崩すはずの行為であるが、魔女の存在を認めた直後に殺すことで逆に磐石の基盤になり得る、とも言える。死ぬ直前の精神状態が地獄極楽を決める小泉八雲効果が働いているのだろう。

全員が魔女の存在を信じながら死んだ場合
ベアトリーチェは完全に解放される。
一人でも疑う者がいた場合
ベアトリーチェは解放されないで現状維持。しかし、その後六軒島に人が来なくなるので、再度の解放の儀式は不可能。よって巻き戻してリトライ。
全員が疑った場合
ここで人間が全滅しようとしまいと、ベアトリーチェは消滅。彼女の敗北。

 このようなルールが働いているのだろう。奇しくもベアトリーチェが紗音をそそのかした時の言葉とおり、何も起こらない現状維持か、破滅の可能性もある変化か、そういう選択だった訳だ。
 ベアトリーチェの勝利条件は全員に魔女の存在を認めさせることで、手っ取り早い方法は人間たちの目の前で魔法を行使してみせることだが、特に金蔵と戦人の前ではその魔法を行使できない。それは彼らが生来強力な対魔法能力を持っているからだ。(GURPSの「魔法耐性」みたいなもんか?)なので、戦人のいないところで事件を起こし、間接的に魔法の存在を誇示するしかない。これが手の込んだ筋の悪いトリック殺人の理由だし、戦人の前に姿を現さない理由でもある。戦人の前では、力がない内は顕現すらできないのだ。
 ちなみに礼拝堂で大人たちに魔女を信じさせたやり方は、彼らの要求通りに魔法的な行動を行った、と想像する。何かを証明したい者が提供する検証手段は信用できない。反証したい者が検証手段を提供するしかないからだ。
A「これは北宋のツボなんです。ほら、弾くとこういう音が出るでしょ?」
B「それがなんの証拠になる。そうだな、比重が○○○で成分が×××(中略)×××なら、北宋と認めよう」
 もっとも、これもBが思考停止してしまうと役に立たない方法ではあるが。
 こうしてみると、このゲームは魔女が有利と言うにはほど遠いことがわかる。いくら魔法で人を殺してみせても、その現場を見せられないがために、魔法の存在を認めてもらえないのだ。そこでベアトリーチェはハッタリブラフ嘘誑かし甘言脅迫等々を駆使して何とか認めさせようとするのだが、戦人がああだからうまく行かない。もっとも、ベアトリーチェの場合ハッタリブラフ嘘誑かし甘言脅迫そのものを楽しむことができるので、彼女自身は退屈しないのだろうが。逆に俺がベアトリーチェの立場だったら、面倒臭くてやってらんねえぜ。
 ベアトリーチェの最も効果的な攻撃手段。戦人の注文通りに事件を起こして見せること。それすらも絶対ではないが、最も可能性が高いのは確か。
 戦人側の究極の防御手段。全員食堂か居間に閉じ込めて戦人の側にずっといること。そうすればベアトリーチェは魔法による殺人を起こすことができない。誰一人死ななければ碑文の儀式は一夜目すら成立せずに破れる。
 どっちも無理だが、理論上は、と言う話で。