裏から見てみる

人の目を見て話すか、見ないで話すか、という問題。 - 高遠るいの日記
しかし一方で、たとえばクレーム処理にさらされた公務員の立場からすれば、「相手の目を見る」行為は「私はあなたの言葉を聞いていますよ」と言う強いメッセージになりうる。クレームの内容を実際には聞いていなくても、だ。(聞くに値するクレームが全くないとは言わないが、少ないと断言しても構わないだろう)
感情で話す者は感情の返答を求める。論理で話す者は論理の返答を求める。最初に話し出す方が論理か感情かその両者かを選ぶのであって、しかもこれは単純な選択の問題でどっちがどうと言うことはない。ただし、相手がそれを読み取ってきちんと同じ手段で返答してくれないと会話は成立しづらいことになる。
感情で話し掛けた者に論理で返しても火に油を注ぐけだし(例:クレーマーが理路整然とした返答を聞いて納得する訳がない)、論理で話し掛けた者に感情で返せば阿呆扱いされる(例:パソコンの使い方を説明すると「パソコンって冷たくて不親切なんですね」と返される)だけだ。
論理と感情、両方が使えるにこしたことはないが、時には意図的にどちらかに限定する(できる)と、高いコミニュケーション能力を持っていると言えるのだろう。俺には無理だが。