魔法少女まどか☆マギカの後で考えたこと

魔法少女まどか☆マギカ」について、先日Twitterでつぶやいたことのまとめ。11話12話のネタバレを含む。(今更な注意書きだが)

まどかの願いについて

最終的にまどかが願ったのは、過去・現在・未来の全ての空間において、魔法少女が死亡した際に魔女化することを阻止することだった。
魔法少女を否定しなかったのは、願いを叶えるためには魔法少女システムが必要だったからだろうし、それぞれの魔法少女が抱いた願いを否定したくなかったからだろう。
実際、魔法少女システムが存在しなければ、巴マミは夭逝し、佐倉杏子の家庭は崩壊し(私見だが、杏子父が心を病むのはどっちにしろ既定だったのでは?)、美樹さやかの恋は決して実らないし(上條の腕が治ったところで仁美にかっさらわれるのも既定だったか……)、暁美ほむらは病み上がりのダメ子ちゃんで一生を終わっていたはずで。……希望を抱くのは結構だが、それが叶ったとて必ずしも幸福になれるとは限らないのがなんとも。禍福は糾える縄の如しとはよく言ったものだ。
ともかく、まどかの願いは魔法少女システムの否定は避けて、その上で魔法少女たちの救済でなければならなかった。そこは納得できる。

まどかの地位

まどかの抱いた願いを叶えるために、結果としてまどかは宇宙法則、宇宙の外側から宇宙内部を規定する存在へと押し上げられた。仏教風に言うと六道輪廻を解脱した覚者とでも言うべきか。それはまさに衆生を救わんとして神・如来・菩薩に至った/至ろうとした修行者たちを彷彿とさせる姿であり、賞賛に値する。もっとも、「救うのは魔法少女限定かよ!」とあえてケチをつけることもできるのだが。
また、まどかのやったことは大きなことではあるが、しかし宇宙の法則を一つ変えただけ、とも言える。大前提であるエントロピーの法則は依然として覆ってはいないし、再編された宇宙は魔女のかわりに魔獣がいて、悲惨さ・残酷さにおいてはそれほど変わってはいない。また、まどかの存在は時空超越者である暁美ほむらしか明確に覚えておらず、まさに「見えないピンクのユニコーン」状態である。「観測できないのに確かに存在するピンク髪の少女?(pgr」である。

さらに上位の視点に立ってみる

まどかは宇宙の法則に一つ附則を付け加えて、忘れられた。
ここでふと疑問が湧く。こうやって忘れられた存在は、まどかただ一人なのか、と。もしかしたら、他にも宇宙の法則を書き換えて忘れられた誰かがいるのではないか。
たとえば、それは、エントロピーを凌駕する魔法少女システムを構築した誰かとか。
あるいはもっと視点を引いて、別な理由で別な法則を追加した誰かがいるのではないか。
ある時点で(ここまでくると時間の概念も関係ないのだが、便宜上そう呼ぶ)、宇宙の法則はもっともっとシンプルで単純で宇宙はもっと平らで退屈な時があって、それをよしとしなかった誰かが、何かの法則を付け加えて宇宙を再編したのではないか。その結果、宇宙はちょっとばかり複雑に、賑やかに、豊かになった。その宇宙でも、何かに不満を持った誰かが、やっぱり何かの法則を付け加えて宇宙を再編し、宇宙はもうちょっと進化して。これを何回も何兆回も繰り返して、宇宙は現在の姿に近づいていったのではないか。
まどかはその果てしのない螺旋状の進化の途上で現れた、偉大ではあるがちっぽけな一人の改革者に過ぎないのではなかろうか。

と、これをネタになんか一本作れないかな。