噺にもならない話

サンタフェ持ってたら捨てるか国立国会図書館に寄贈しようね」と噺議員が言った件について、もういい加減この男をファシスト認定してもいいと思うんだよね個人的には。そこまで他人の思想に口を出したいのかと。
で、ファシスト云々と関係もあるけどそれとは別に。
思想の左右上下を問わず「情報・知識・記録の破棄」と言うものに俺はもうほぼ無条件の拒否を表明する(している)訳でして、少なくとも一度世に出した情報は原則消されるべきではなく、やむなく消した場合でもその痕跡や理由は残すべきで、そうでなければ何かを語る資格はないと思っている。(自分に都合の悪い資料を思いっきり破棄しまくった挙句に「残された資料によれば……」としたり顔で語る人間を信用できるか?)
「人間が人間である限りその人の人権は守られなければならない」と言うのと同じ強度で「情報が情報である限りそれは保護されなければならない」のだ。廃棄保護に、恣意的な、少なくとも情報の質を勘案した線引きは入れるべきではない。「○○は『良い』けど××は『悪い』から削除しろ」とか言うのはただの欺瞞・偽善である。(それが理解できない糞野郎もいた訳でそいつは今でも元気でいる。これもまた世界の真理か)。で、現実として人権が完全に守られているとか言えばそうでもないように、情報の保護が完全に守られているかと言えば否である。その程度には理想と現実の違いは理解してる。人権を守るためにはコストが必要で、同じように情報の保護にもコストが必要で、それが払えない貧乏人の俺としては目の前で情報が破棄されるのを泣く泣く見逃す他なく、理想をブログにぶちまけるしかない。
自分で一次創作も二次創作もして、コミケにサークル参加して図書館で働いて本屋でバイトして、著作権って櫓の周囲で踊り続けた半生の俺にとっては、これはもう体にしみこんで落ちない匂いのような感覚なのですよ。
たとえ「ポルノに該当するならば」と言う前提つきだったとしても、篠山紀信に対して「ネガも処分しなよ」と言ったも同然の噺議員はもうどうにも擁護しようがないし(なんらかの表現者・作家に対して、その作品を捨てろだって!?)、そのポルノかどうかって線引きも警察当局の恣意そのものだし、本気で恐ろしい。この件がらみだったらサヨクとだって取引してしまいそうだ。しないけど。相手してくれないだろうし。
まあ、愚痴はともかくとして、単純所持が禁止された後のことを考えると、主な問題は二つ。

  1. これから何を作れるのか。
  2. 今持っている物をどうするか。

特に全国一億数千万のコレクター諸氏におかれましては、2の問題は非常に大きいと思量するものでして、いわゆる別件逮捕・「転び公妨」も真っ青な使われ方をする恐れがある訳で。
もうこうなったら噺の言葉を逆手に取って、安全に所持する方法を模索してみたいと思う所存。

キーワードは「正当な」

噺議員は「捨てるか国立国会図書館に」と言った訳で、そこで個人の範囲でできることを考えたならば、個人文庫・個人資料館を作りそれをNPO法人かなんかにしてしまって、ヤバそうな蔵書はそっちに寄贈してしまうと言う方法。つまり、図書館とか文庫なら、資料持っててもしょうがないよね、とそういうアレ。手塚治虫記念館やらジブリの森の超マイナーバージョン。
たとえば俺なら「文学・サブカルチャーにおける被支配者層のアナロジーとしてのアンドロイドキャラクターの扱われ方を調査し、社会におけるマイノリティへの意識変遷を浮き彫りにし、もって人権思想の研究に資することを目的とする」とかなんとか言ってNPOをつくり、資料を収集・所蔵することを認めさせるとか、そういう感じで。
しかし、噺は図書館と言えば国立国会図書館しか思いつかないのかね。各地にある公共図書館や私設図書館なんぞ念頭にないのかね。けど、これくらいの拡大解釈はさせてもらわんと正直手がない。
いやもうネタとかでなく、これくらいの自衛手段は持たないとヤバい時代が来てると思うよ本当に。
※現時点では一応エロ漫画は規制の外にあるけどすぐに引きずり込まれるだろうな。