AIBOはクドリャフカになれなかった

AIBOが最終的に消え去ったのは、愛玩用だったからの一言に尽きる。無論、愛玩用だからこそ初期には爆発的に売れたのだろうが、同じ理由が自身に止めを刺した。絞った仕様が売れた理由であると同時に、滅んだ理由でもある。多分、絞った割にはそれほど高性能でもなかったことも原因の一つじゃないかな。
これがある程度の家事を分担してくれるとかの実用性を持っていれば、また別の生存の道があったのだろう。毎日ゴミ出しをしてくれるとか。よくできた、そしてはみ出ない労働ロボットの居場所はなくならない。
一方で海野螢の初期漫画に出てくるぐらいに、徹底的に一個人に対してソフィスティケートする機能があれば、やはり同じように爆発的に売れて、社会問題となり、そしてやはり絶滅するだろう。魔女狩り的に。
作られて捨てられる「何か」たちについては、攻殻機動隊でも語られた。イノセンスでも。愛玩用は捨てられる。彼らは無駄な消費をされたくないだけなのだ、と。未来への循環(サイクル)―マンガで見る環境白書〈8〉もそういうテーマだった。(もっとも、お役所の言うことなので、個人の感情よりも社会全体のバランスに焦点が当たっていたが)AIBOにそういうことを考えるだけの機能はなかったはずだが、機能があればそういうことを考えたかも知れない。
と、twitterに一行だけ書きこむだけの話が、ブログに書くとこれだけに膨れ上がるのは何故なんだろうな。
能美? 誰それ。能登なら知ってるが。