ポエミィな気分

あなたへのコメントを書いては消し書いては消し……。
あなたの言葉の裏に潜む何かに気づいた時、私の中に何かが芽生えたの。
でも、それを口にしてしまった時、きっと何かが終わってしまう。そんな予感がするの。
 * * * * *
私はあなたに毒杯を捧げましょう。毒はあなたに怒りと憎しみを与えるでしょう。
けれどその毒を飲み干した時、あなたはあなたの中に別の病があることに気づくでしょう。
そして願わくば、捧げた毒が病を駆逐せんことを。
 * * * * *
ああ、ミューズたち、どうか私に道を示して。
毒を甘く飾り立てるネクタルは、どんな冒険の果てに手に入るのでしょう。

解説、と言うほどのものではないが

矛盾をみつけた。
小さなこと、故に無自覚で、指摘しても重箱の隅をつついていて話をそらせているだけだ、と断じられそうなのがとても不安になる。決してそうではないし、そう思われないためにも他の部分にも全力でコメントをするが、しかしその矛盾点は絶対に見逃すことができないのだ。
もし見逃したならば、俺は後悔するだろうし、彼のためにもならない。何故と言うなら、私の所見など所詮は私の中だけで完結するものだが、彼のそれは彼だけでなく、彼の受け持つ数多の個性にも影響を与えるからだ。
かつて、同じようなことがあった。
激しい論争の末に、その時の彼はとてつもなく馬鹿なことを叫んでいた。ありえないことだった。究極的には人類の知性を否定するような発言だった。私はそれを、指摘しようかしまいかとても悩んだ。
しなかった。
その指摘は、どうあがいてもそ徹底的に彼を怒らせる毒にしかならなかった。少なくとも、その時はそう判断した。
その毒を彼が受け入れてくれるかどうかもわからないかったし、毒が効いて薬に変わるかもわからなかった。飲んだ挙句に痛めつけただけ、と言う結果も十分考えられた。そこまでして嫌がる相手に無理やり毒を飲ませる理由や権利や資格や、そんなものがあるのだろうか、と悩んだのだ。
その時の彼は、無限の善意を持っている人だった。時が経った今だからこそ言える。今の彼もそうだ。そしてだからこそ、己の善意が地獄への道を敷き詰めていることに気付かない人たちだ。
今度は、無理やりにでも飲ませてみようと思う。徹底的な毒を。