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貧乏くじ - 永字八法のコメント欄続き。

1

 まず、枝葉をすっとばして少々極論気味にこの問題をとらえるならば、「朝日が釣り記事を書いて、ネットがそれに見事に食いついた」もしくは「朝日が地雷を踏んだ」と言うことになると私は考えている。
 この場合、玄倉川氏は食いついた連中を「なんだか怖くなった。」と評している訳だが、私としてはそもそもの釣り記事を書いた朝日の方が「やべえよ、なんかおかしいよ」と思っているのだ。食いついた連中が朝日をフルボッコにしたとしても、それは正直朝日の自業自得である。仮にも言葉で飯を食っている人間が言葉の使い方を誤ったのであれば、それなりの報いを受けたとしても当然であろう。ましてや、「これぐらい大丈夫だろう」とたかをくくったような文章ならば同情の余地もない。
 宮廷道化師は王を風刺するのに、常に命賭けであった。文字通りに、だ。

2

 死神と言う言葉の解釈が多義にわたることは、ある程度の情報リテラシーがあれば誰もが認ることだろうが、だからこそ問題にするべきなのは、その言葉を最初に使った朝日がどういう意味で使っているか、と言うことだ。
 ここで繰り返しになるが、朝日は素粒子を「風刺」だのなんだのと定義した訳で、従って素粒子では故意にどうとでもとれる表現を使用した、と見るべきだろう。しかしどうとでもとれる表現ではあるが、その真意がどこにあるかを感情で量れば、鳩山大臣の否定にあることは、これまた誰もがたどりつく境地だろう。人を褒めるのに風刺は必要なく、否定をオブラートに包みたいからこそ、風刺だのチクリと刺すだのと言わざるを得ないのだ。もっとも、人の心情などと言うものは他人はおろか自分自身ですらわからないものであることを考えると、「真意はどうなのか」と言う追及はできないし意味もない。実際追及してものらりくらりと言い訳をしただけなのが現実だ。
 いったん世に出たコンテンツがどう解釈されるかは、それを読む人間のみが決めることで、書き終えた人間にできることはほとんどない。しかしだからこそ、人事を尽くして天命を待つとでも言おうか、事前に言葉を厳選し読者に与える印象や感情を計算することが、全ての筆持つ者に求められている。死神と言う言葉を使えば、どのような印象を読者に与え、またどのような反応が返ってくるかを、素粒子は本当に計算したのだろうか。仮にも新聞に文章を掲載する人間が、自らの言葉の与える影響を考えない、あるいはそれに鈍感であると言うのは、充分批判の対象になりうるだろう。
 私には記事に食いついた連中をとやかく言う根拠がみつからない。むしろ無用とも思える釣りを仕掛けた朝日の方に問題を感じるのだ。

3

 死神と言う言葉の定義が曖昧である以上、「死神と呼ばれてもいいじゃないか。死神ってのはただ単に殺す人って意味なんだから。その程度でガタガタ騒ぐ方がおかしい」と言うのは、玄倉川氏の死神の解釈があってはじめて成り立つ論であり、しかもそれを示したところで素粒子がどのような意味で死神と言う言葉を使ったのか、真意には何も影響を与えない。玄倉川氏はそこをわかっているのだろうか。同じように、「読む人それぞれが自由に解釈すればいい」と言う主張もまた、朝日の真意とは何も関係がない。事実に即した報道が基本(のはずだよねえ。最近疑わしいのが多すぎて嫌になっている人が多いんじゃないだろうか)の新聞で、多様な解釈が可能な言葉を使うのは、むしろ敗北ととらえても間違いではあるまい。

4

 死神の意味の解釈についてはもうちょっと掘り下げてみよう。と言うよりも、ほとんど趣味だが。
 前提として死神は想像上の存在であると言うのには同意する。オッカムの剃刀的、悪魔の証明的な同意であって、今後なんらかの証拠が出てきたら、全世界の人間がすぐに撤回せざるを得ない同意だが。
 この前提に立つならば、死神に与えられる解釈に正解はないことも自明だろう。

死神は悪魔とは違います。
たぶん神の命令で使命を果たしているのでしょう。
死神が仕事をしなければ、地上は人間であふれてしまいます。神は満員電車のような世界を望まないでしょう。

 私は悪魔との対比は行っていないのでなんでそこで悪魔が出てくるかはわからないし、同じように神(どの神かはよくわからない、死神以上に多様な解釈の可能な言葉だな)なんでどうしようもないものに言及していないが、「死神が任務で人を殺す」と言う解釈が、世界的な主流であることには同意する。しかしながら、「死神の解釈は一つではない」ことはさきほども述べたように自明であるので、この解釈は個人の解釈以上の物ではない。
 死神の解釈がどれほどあるか、例を挙げる。

  • 古代ギリシャの神タナトスは死と言う現象そのものの体現であるが、最も古い神の一柱であるため人格を備えた神ではなく、その存在意義や意図するところは不明である。
  • プルート(ハデス)は単に死者の行く国の王であり管理者である。スサノオもまた同じような立場である。
  • 砂をまいて眠りをもたらす砂男には、黒い鎧に身を包み青ざめた馬に乗る弟がいる。この弟は兄とは違い、取り返しのつかない永遠の眠りをもたらす。殺害の基準はよくわからないが、社会的な制裁装置的な性格を持つ。
  • ヴァルキュリアたちは戦場を駆け、これはと思う戦士を殺し、その魂をオーディーンの元に招く。いつか訪れるラグナロックの尖兵とするために。
  • 女神モリガンは戦の興奮に身をまかせつつ、全く恣意的に戦士たちを殺して行く。
  • 木城ゆきと「水中騎士」では、世の理を守るため、死神タグメクがあらゆる職業の死人たちを従えて登場する。ある人物の生命を奪うには、同じ職業の死人の手によらなければならないからだ。しかし、それ故にこの世のものではない職業の者には手が出ず、悪魔騎士打倒をルリハーにまかせざるを得なかった。
  • 椎名高志GS美神」では骨の顔を持つステロタイプな死神が登場するが、主人公たちの命を張った(しかし死神からすれば弱すぎる)妨害に、情にほだされ寿命の執行を猶予してしまう。
  • やぎさわ景一「死神デス」では間抜けな死神が主人公を迎えに来るが、主人公には全く相手にされずに主人公のそばにとどまり続ける。
  • その他、パターンとして寿命の執行対象を殺さないばかりか対象と恋に落ちる死神は数知れず。
  • 大場つぐみ小畑健DEATH NOTE」に登場する死神は、己の延命と言う謂わば最強の私利私欲のために人を殺す。
  • 物事をよく考えない人物が、死神の外見や行為にのみ注目し人間に仇なす存在であるとレッテル貼りし、悪魔と混同することもよくあるだろう。
  • えんどコイチ「死神くん」の死神は単純に迎えに来るだけであり、己の手で人を殺すこともあるが、ほとんどは死んだ人間の魂をそのまま連れていくだけである。

 死神の解釈は多種多様であり、ここにいたって「殺す者こそが死神」と言う定義もまた揺らいでくる。そこでまた一段引いて「人を確実に殺す能力あるいは権能を持つ存在」と再定義すべきだと思う。この方がよりしっくりくる解釈だろう。
「たぶん神の命令で使命を果たしているのでしょう。」と言うのは説得力のある解釈ではあるが、同時に正解でもない。この世に神がいることが前提になっているからだ。邪神しかいないラブクラフト時代のクトゥルフ神話的世界観においては、「神の命令で〜」などと言うのは悪いジョークでしかない。

5

「執行命令に署名しない法相もいました。彼らはどういう理由にしても「死神の仕事」をしませんでしたから、死神と呼ぶのは適切ではありません。」と言うが、今述べたようにむしろ「死神」は職業・資格・能力につけられたラベルであるので、行使の有無は直接関係がない。世の中には資格を持ちながらその資格を行使しない人の何と多いことか。弁護士とか司書とか。
「死刑を支持する人は前者、死刑反対の人は後者の意味にとればいい。」
 無論、どう解釈するかは読者の自由。問題とすべきは朝日の解釈だ。そして読者の多くは、朝日の解釈が問題だと感じている。

誰を罵倒しても「死刑制度を運用するには誰かが死神の仕事をやる必要がある」という事実は変えられない。

 そのとおり。朝日が鳩山を罵倒したとしても、「死刑制度を運用するには誰かが死神の仕事をやる必要がある」という事実は変えられない訳だ。で、鳩山は仕事をやって、それ以前の法相はさぼりがちだった。なんらかの解釈を与える前の、誰もが認める事実はそれに尽きる。
 朝日はその事実に対し否定的な解釈を行い、それに反発した人が多数出たと言う訳だ。人を批判するのに説得力を欠けばそれは単なる罵倒だ。朝日は罵倒をしていると考えている人は多いのではないか? 罵倒するものはそれ故に批判される。罵倒することで批判の材料をふりまいている訳で、自分から好きでそうしているのだから他人がそれに乗っても悪くはないだろう。mixiの犯罪自慢のDQNと同じだ。

6

「死神に類する差別的な意味合いを持つ呼称」
死神は実在しないので、屠殺業者や皮革業者と並べて差別表現の問題にすることはできません。

  1. 朝日が差別的な意味合いをもって死神と言う呼称を使うのであれば、それは差別表現とみなすことができるでしょう。
  2. 死神と言う言葉を超自然とは関係ない殺人者と解釈することもできましょう。素粒子自身も本当に死神が存在するなどとは考えてはいますまい。またの名を死神、これはつまり個人が死神のように振る舞っているとする表現ですね。
  3. そして、差別をするのに差別対象が実在する必要はありません。

 もっと具体的なことを言えば、屠殺業者や皮革業者に対する差別意識は、死を直接的に取り扱う職業に対する穢れの概念と密接な関係があります。日本の場合は、ですが。また、徳川幕府によっていわゆる士農工商の外に置かれた人にこれらの職業は強制されたことも、無関係ではないでしょう。なればこそ、「死を扱う職業」への差別意識が死神に向けられたとしても不思議なことはないでしょう。

7

 玄倉川氏は、ネットで騒いだ連中を問題にした。騒ぎを作りだしたのは朝日だ。朝日は問題にしないのか?