雪女について

寒鼠 - 永字八法

ああ、あとすいません。
「雪女」の噺で、抱かされた子供が重くなるヤツの出典を探ってるんですがちと見つからなくて。
知ってたら教えていただけると身悶えします。

……何このあからさまな挑戦。押すなよは押せってことですかー!
てな訳で、少ない時間でざらざらっと調査してきましたよ、と。

雪女について

 雪女、あるいは雪女郎・雪婆等と呼ばれる東北地方を中心とした一連の妖怪群は、大別すると4種類に分けられる。

雪魔型
もっとも原始的な、本来の意味での雪女と言える存在。吹雪の山中などで出会い、人に害を為す。ある物は「避けるのも駄目、道を譲るのも駄目、逃げるのも駄目。恐れず向かって行くのが唯一の対処法」とか。吹雪の中と言う極限状態に置かれた人間が、自らの恐怖心を反映して生み出した幻覚、と言う解釈が真っ先に浮かんでくるタイプ。岩手・宮城・茨城などに分布する。
小泉八雲
現在最も有名なタイプの雪女。雪女と出会った男が、雪女のことを他言しない約束で生かされる。数年後、男が嫁を娶り子を設けた後、うっかり口に出してしまうと、嫁が雪女の正体を現し、子を置いて去って行く。ラフカディオ・ハーンが採集したのは武蔵野国(関東)だった訳で、このタイプは東北のメインストリームではなかったと思われる。他に新潟・富山・長野でも確認されている。山人のタブー思想が根底にあると考えられる。
歳神型
月神に雪女の姿を与えたタイプ。正月にたくさんの童子を伴って人里にやってきて、その年最初の卯の日に帰って行くのが基本パターン。正月にやってきた雪女が、翌日には金銀財宝の山に変わっていた、と言ったバリエーションや、一眼一脚の一本ダタラを彷彿とさせる外見の雪女もいると言う。津軽を中心に分布していることから、こちらがメインストリームと考えられる。
産女型
問題のパターン。赤子を抱いた姿で雪中に現れ、通りかかった者に赤子を抱かせようとする。拒否すれば吹雪に巻き込まれて凍死させられ、抱けば赤子が重くなって潰される。赤子の重さに耐え切った者は、力を与えられたり財宝を与えられたりする。雪魔型のバリエーション(結局、向かって行くしかないので)にも見えるが、実際は南方から流入してきたものと考えられる。津軽弘前の武士の例がよく知られている。なお、山形県では産女の伝承そのもので怪異を雪女と称す例もあった。さらにバリエーションとして、人の子をさらって我が子に食わせる鬼子母神型も希に存在する。

 雪女とは、雪の精が女性の形をしていれば、そ全てに対して与えられる総称とも考えられる。「雪の中の女なら(そいつが何をやっても関係なく)雪女じゃー!」と誰かが言った可能性も考えられる。
 比較のために産女そのものについても調べてみた。
 そもそもは今昔物語中に占部季武が、赤子を抱かせて人を殺す怪異の噂を聞いて会いに行く段がある。この怪異のことを産女とは言及していないが、骨子は間違いなく産女であり、「水辺で赤子を伴って現れ、赤子を抱かせようとする」と言うモチーフが当時口承のレベルではあるが存在していたことの証左と言えよう。「赤子を伴って水辺に出現する」と言うモチーフは大地母神のバリエーションの一つであり、その行為は英雄の選出とみなすこともできる。それが、赤子を抱えきったことへの報償である怪力であろう。
 先にこのようなモチーフが存在し、それに産褥熱で死んだ女のイメージが結び付けられ、産女の妖怪像が完成したと考えられる。また、産女は自然現象の具現ではなく口承文芸から出現したとする研究もあるため、産女型の雪女は、産女と同じモチーフに雪女のイメージをかぶせたものと解釈できる。
 雪女自体は口伝の中では相当な昔から存在していたと考えられるが、雪女が産女の形質を獲得したのがいつ頃かとなると難しい。小泉八雲型の雪女が人口に膾炙したのは江戸時代のことだそうで、従ってこの時期、北から関東関西に流入してきたことがわかる。そのことから逆に南方系の産女のモチーフが北に流入したのも、同じ頃ではないかと仮説を立てられる。
 ただし、産女型雪女が雪女として文字化された最古は何かと問われると、以下のURLで回答できると思う。
国際日本文化研究センター | 怪異・妖怪伝承データベースから、
雪女 | ユキオンナ | 怪異・妖怪伝承データベース
雪女 | ユキオンナ | 怪異・妖怪伝承データベース
 上記の文献がどこに所蔵されているかまでは調べきれなかった。

参考文献

おまけ

世界の妖精・妖怪事典 (シリーズ・ファンタジー百科)より。

雪女
 日本の民間伝承に登場する悪霊の名前

外人にとっちゃ雪女も悪霊扱いかよ!

感想

 図書館で最初調べたんだけどさ。
 やっぱりネットで探した方が早くて痒いところに手が届くんだよね……。