リザインの理由

ベアトリーチェの動機に関する仮説 - 永字八法

たとえ戦人の前では行えないという制限があろうと、「魔力でもって不可能犯罪を成せる六軒島のベアトリーチェ」が居るなら、あらゆる反論を赤字で潰せるはずです。礼拝堂のときにリザインした理由が分かりません。

 うは、突かれた(笑)。
 このご意見には背景として、「広義の人間犯人説」があると解釈していいだろう。誰がやったかはひとまず問わないとして、魔法を使わなくても犯罪が可能だった、とする立場だ。人間がやったのであれば、それが19人目だろうと190人目だろうと構わないとする立場だ。
 私としてはもうちょっと柔軟に、「ひぐらしのなく頃に」に羽入がいたように、「うみねこのなく頃に」にベアトリーチェがいても構わないと考えている訳だが。
 魔法と人為の双方を使った解決、が私の思考の方向なので、そこはご了承願いたい。
 では、自説に沿って反論を試みてみる。

「六軒島のベアトリーチェは基本的に力が虚弱ないし出し惜しみせざるを得ないので、トリックで済ませられるところはトリックを使う。礼拝堂の時点ではまだ誰も死んでいないので、力が最低レベルであった」

 この説はどうか。殺害数か経過時間に比例してベアトリーチェの魔力が増大すると言うギミックは、最終的に魔法が効かない金蔵・戦人の前にも姿を現せるようになった理由にもなる。
 もう一つ、ベアトリーチェがルールを伏せていた可能性も指摘しておく。

「殺害に関しては、どのような魔法を使ってもよいが、人為で可能な範囲にしなければならない。それが儀式のルール」

 このゲームは魔女の実在を信じさせるためのゲームである。ただし常にリスクが存在しなければならないと言う基底ルールがあるとの仮定だ。ベアトリーチェは常に相手に対し逃げ道を用意しなければならない、と言うルールがあれば、ベアトリーチェはそれを遵守せざるを得ない。ただし嘘はつけるので、ベアトリーチェはそのルールの存在を伏せることもできる。どのルールを提示しどのルールを隠すかはベアトリーチェの手の内だ。
 最後に、人間犯人説の人が喜びそうな説も出しておく。

「六軒島のベアトリーチェは魔法で用意された共同幻想である。それぞれの殺人においてそれぞれ可能だった人間が、自覚なくベアトリーチェの役割を果たし、果たした後はそれを忘れている。従って多少の魔力の手助けはあったとしても、基本のトリックは全て人為で行われている」

 この説に従うならば、全員が魔女の存在を信じればベアトリーチェは実際に存在を始めるし、全員が魔女の存在を否定すればベアトリーチェは消滅する。メルブラのタタリにも似たアレですわ。
 まあ、人間犯人説の人との折り合いをつけるとすればこんなところでしょうか。