「信じる」の定義

 明文化しておく。
 紗音がベアトリーチェに対しての攻撃として、「ベアトリーチェの言葉を取り合わない」を選択した時、感情がすぐ表に出る(ゲームプレイヤーとしては最低だよなあ)ベアトリーチェはえらく狼狽した(この狼狽が演技だったら逆にたいしたタマなんだが)。ここが引っかかっていた訳だが。
 そもそも厳密に「全員が魔女の存在を信じる・信じない」が条件であれば、最初から戦人には全く勝ち目がないことがわかる。
 何故ならば、金蔵はガッチガチの存在肯定派(つーか言い出しっぺだ)であるし、真里亞・源次・紗音・嘉音は実際に目撃して会話していて、信じる信じない以前の状態だ。
 解釈としてはこの「信じる」をキリスト教における成人儀礼「堅信礼」と同様に扱うことだ。洗礼を受けていたとしても、堅信礼を経なければ一人前ではないのだ。つまり、魔女の軍門に降るか否かをもって「信じる・信じない」を定義した方が現実的だ。
 ここで最初の紗音の例に戻れば、彼女はこの段階では「信じない」の陣営にあったと解釈できる。だからこそ紗音を篭絡したと確信していたベアトリーチェは、狼狽して悪罵を飛ばした訳なのだ。
 従って、全員で魔女を無視すると言う、どこぞの小学校のイジメみたいな解決策も思いつく。そうすればイジメられたベアトリーチェは自殺……ああ、なんかこっちが悪いみたいに感じてくるな。イジメかっこ悪い。誰かかまってちゃんなベアトリーチェをテーマに二次創作してくれんかな。
「認めてくれなきゃ死んでやる!」
「わかったわかった、はいはい魔女魔女」
 こんな感じで。
 真面目な話、EP2の礼拝堂で一度は軍門に降ったはずの楼座も、何故か復活して否定派の急先鋒になったりしてるわけで、「魔女を信じる・信じない」は一度決めたら変えられないようなものでもないようだ。
 やはり、言うほど魔女も有利ではない。