権威主義の誤謬

こんな奴が国会議員 - 永字八法の続き。
 ちょっとこの戸井田とおる氏についてさらに考えてみた。
 結論から言うと、この人物は権威主義者なんだと思う。
 政治家は、多かれ少なかれ権威主義者にならざるを得ないんだろう。筋が通る通らないよりも偉い偉くないを基準に動いちゃう。
 自分の住んでる世界がそういう仕組みになってるから、図書館と言う別の論理で動いてる世界に対しても権威を求めてしまうんではないか。それに従っておけば安心、みたいな。それがないから、「あるべきだ!」と声を挙げてしまったんではないか。多分、自分で資料探したこともないんだろうなあ。政治家ってそういう人多そうだし。
 まあ、この人の心配ははっきり言って杞憂なんだよね。
 たとえば、全く何も知らない人が「南京関係のことを知りたい」と図書館に言ったならば、図書館は「はいどうぞ」と南京関係の資料をあらいざらい全部ぶちまけるだろう。それらの資料のどれを取るか(あるいは取らないか)は利用者が決めることであって図書館が決めることではない。さて、こんな状況でその人が「レイプ・オブ・南京」を手にする可能性はどれくらいあるんだ?(つか、そもそもこれって邦訳されてたか?) 無論、これはいわゆる「正しい」とされる本にめぐり合う可能性が低いことも意味しているが。
 そんな時、利用者が途方にくれて「……どの本がいいですかね?」と問うても、図書館では答えられない訳だ。図書館は判断をしないんだから。せいぜいが「この本はよく借りられてますね」とか「それぞれの本の書評をネットで調べられては?」とアドバイスするくらいだ。
 情報リテラシーのない人は欲しい情報・知識にたどり着けないと言う単純な話であり、図書館はその情報リテラシー教育に義務があると言えばあるような気もするが、そもそも自分に情報リテラシーがないと気付いていない人間に対する教育は難しい。
 まあ、この戸井田議員ができることと言えば、南京なら南京関係の資料を集めて、それぞれがどれくらい信憑性・信頼性があるのかを精査して、それをまとめて本にすることくらいじゃないか。「南京百珍」とか言って売り出したらけっこういい線行くと思うんだが。「南京関係の資料で何を読んだらいいか迷っているあなた! 右から左、全部並べて解説します! 変幻自在の死者数の妙技を一挙公開!」とかさ。
 そしてそれを国立国会図書館他全国の図書館に納めてくださいませ。そしたら図書館員も楽になりますから。「迷ったら、これ読んでから出直して来なさい」と言えるんで。