抜こうが泣こうがそれは等価

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 ゲームによって感動しようとするのも。ゲームによって抜こうとするのもオナニーには変わりないのかも。

人間、てか動物は、体から色々汁とか物を出したら気持ちよく感じるようにできている。生物学的なレベルで、「抜き」も「泣き」も等価(まあ、効果の幅は違うかも知らんけど)。
疲れてきた人間の方が性的に強くなっていたり、「あんまりだぁ〜!」と泣いて喚いて「ふー、すっきりした」するのもストレス解消と言う点では同じ。汁と一緒にストレスを出そう。
37歳の童貞男

(前略)テレビのドキュメンタリー番組でしばしば目にする「ホストクラブ密着取材」その他似たような趣向の番組を見ていても、見た目とは違って裏で必死のせめぎ合いをしている彼らの姿には、どこか鬼気迫るものを感じる部分がある。
  だから、自分のような「意に沿わないコミュニケーションを他人と取る事に嫌悪感を覚える」ような人間には、そういう例を見ていると『あぁ、他人や女性の心を掴むのに、こんだけ苦労しなくちゃダメだっていうんなら、俺は最初から参加するのをあきらめるわ』と、一種の悲壮感にも似た心境に陥るのである。

悲壮感があるかどうかは別にして、同感である。ほんと面倒くさい。「やりたい」と言うアクセルと「面倒くさい」と言うブレーキを天秤にかけると確実に「面倒くさい」の方が強い。ちなみに正当化でもなんでもない。自分に嘘はつけないから。だから「性欲はないのか?」と聞かれれば「あるに決まってるだろ」となる。「やりたい」のも自分だが、それ以上に「面倒くさい」のも自分だから。
この感覚を他人に説明するに、こんな例えはどうだろう。
ちょっとした小金持ちになりたい男がいたとして、「世界で○十番目の金持ちになる方法は、これを(中略)(中略)(中略)と死ぬほど努力すればいいんですよ」と言われて本当にするかどうか。結局、その程度の話である。
と言うよりも、恋愛に限らず何でもそれをそれなりにうまくこなすのには努力がいるし、極めるにはめちゃくちゃな代償がいる。人間、全てのことはできないのだから、労力は経済学に則って「選択と集中」をしなければならない。そのTODOリストに恋愛を入れるかどうか、最初から検討もしない人間がいるということの方に驚きだが。
http://bmp69.net/mt/archives/2007/01/post_480.html
そういや、隠し撮りで稼いで留学してる妹に送って、送金額累計で妹の処遇(エンディング)が変わるゲームもあったよな。なんだっけ。
まあ、実際に付き合うのは面倒臭いけど性欲はあるっていうのなら、エロゲーとかDVDとかこの辺が落とし所なのかもね。