マス神は死んだことにしとけ

唯一神「テレビ」死後の世界 - うさだBlog / ls@usada's Workshop

人は、自分自身が神とならない限り、大小の差はあれ、信じる神が必要だ。それは木像だったり、石像だったり、イワシの頭だったり、男だったり、女だったり、誰かの言葉や文章であるかもしれないが、いずれにせよ、自分で信じる価値がある物を、自分で見つけなければならない。
(中略)
もし神をうまく選び直す事ができなければ、その人間はテレビ教よりもっとタチの悪い宗教に引きずり込まれ、しかもそれに気付く事すらなく一生を終える可能性も、十分にある。

気をつけなければならないのはgoogle教かな……。
そう言えば、仏教はそもそもが宗教ではなく仏陀主催の自己啓発セミナーだった訳で、その中で教えているのは「子どもの頃は母に頼るのは仕方ないが、大人になってから母の替わりの人物や神や偶像に頼るのはやめとけ。つかいい加減自立しろ」と言う教えがあって、いわば仏陀自身が「俺に頼るな!」と言ってる訳です。ノーモア他力本願。そう考えると「御仏の慈悲にすがって解脱を」とすすめる今の教団仏教は一体なんなんだと言うことになります。ニーチェの超人思想までとんがってはいませんが、紀元前からその内容を先取りしていた訳です。これは「仏陀はすごい」じゃなくて「人間は進歩ねえなあ」と解釈するのがむしろ正しいと思います。
その意味で「自分専用の萌え神様を作ろう!」と言ってる本田透電波男教は、実現可能な折衷案としてマシだと思います。