宗教のはかりかた

ある宗教思想の性質をはかるには、その宗教の説く「地獄」の概念に着目するべきと言うのが私の持論です。そういう持論を得るに到った過程はさておきますが。
たとえば、キリスト教を引き合いに出しますと、地獄はいくつもの階層にわかれ、下に行くほど重罪人でありひどい罰を受けていることになっています。これは逆に言えば、何をすれば地獄送りになるのか、どの程度の階層に送られるのかが決まっていると言うことです。言い換えれば、キリスト教の倫理観念が何を悪とし、また悪の間でどのように序列を決めているかがわかると言うことです。
たとえば、沽聖者(僧職を売買した者・聖物を売買した者)は九階層ある中の第八層、下から二番目に配置されていることから、極刑一歩手前の重罪であることがわかります。一方で、これは教団内部への自浄作用を示すものでもあり、従ってこの中世キリスト教は、自己批判ができるだけまだマシな宗教だったと言うことがわかります。
翻って、現代の新興宗教などに目を向けてみてください。
教祖や一部の高僧が絶対的な権力を持っているものはありませんか? 上層を批判する手段のない宗教はたやすく堕落します。最初から堕落していて宗教の名を騙った詐欺の可能性もあります。
地獄を持っていたとしても、基準が明確でなかったりしませんか? たとえば教祖様に股を開かなかったから地獄に落ちるとか、後から言われるとか。一部の上級信者の胸先三寸で罰が決まるようなものも宗教とは言えないでしょう。
また、地獄を持たない、現世利益だけを説く宗教はありませんか? その宗教は、詐欺か原始仏教のような自己啓発集団のどちらかです。どっちも似たようなものかも知れませんが。
そう考えると、世の中に本当の宗教が少ないことがよくわかるでしょう。
実はこれ、宗教以外にも使える組織の判別法なのです。試してみてください。