復帰?

なんかごく一部で死亡説まで囁かれているようですが。
普通に生きてます。ただ、なんか悩みまくってましたが。
見合いを断ると言うごく単純な行動ができなくて、それで苦しんでました。と言うより、どうして苦しいのかその原因を探るべく内観していたとも言えるでしょう。内観と言うほど高尚でもないでしょうが。
釣り書を返そうと思ったんですが、相談すべき家人が「じゃ、韓国旅行行ってくるから」としばらくいなかったのも内観時間が長くなった理由の一つです。
内観しつつ、古本屋に本を売ったり古本屋のハシゴをしたりして過ごしてました。ここしばらくで増えた本の数は推定でおよそ60冊くらい。その中にはブッタとシッタカブッタ (心の運転マニュアル本)(他、ブッタとシッタカブッタ (2)ブッタとシッタカブッタ (3)も)もあったりして、レジに立ちながら「ああ、俺も相当追い詰められてるんだなあ」と妙な感慨を持ったり。ちなみに50円特売コーナーをハシゴしたら全部そろったんですけど、ここで「これは運命だ!」みたいなことを言ってしまうと、「簡単に答えを出さない」と言う仏の教えを破ることになり本を買った意味がなかったりするのですな。
内容的には、禅宗系の思想が多いような気がします。ただ、禅宗には「畑の開墾をしつつ、邪魔な小石を拾って投げ捨てたら、その小石が竹林に飛び込んで竹に当たって音が響き、その音とともに開悟した」なんて語った本人にしかわからない逸話も多いわけで、それに比べればわかりやすい話ばかりを選んでますね。
本筋に戻りますと、結局のところ、私の中にも「人に嫌われたくない」と言う欲があったと言う話でして、いえここまで傲慢でなくてせいぜい「人を傷つけたくない」と言う欲があったんでして、だからこそ釣り書を返すに返せないと私が思いこんでいた訳です。
実は前回以来彼女と一度も連絡を取ってないので、この状態でメールすると「メールでは初めまして。釣り書をお返ししますのでもう一度お会いしませんか」となる訳です。ネタ的には申し分ないのですが、本当にこんなメールを送られたら彼女がどう思うかを考えると出せなかった訳ですが、そもそも本当に彼女がどう思うかは彼女自身にしかわからないし、そのことで彼女が傷つくんじゃないかと心配するのも私自身の勝手な想像でしかないんですね。
極端な話、「人を傷つけたくない」と言う欲も、「人からよく思われたい」と言う欲の消極的な一変形でしかない訳で、そんな欲にとらわれているのも馬鹿馬鹿しくて滑稽だと思うのです。
ただまあ、今のところ業務上のイベントが目白押しなので、それが終わるまでは動けないのですが。
ところでこういうようなことを書くと「なんだ宗教(or電波)か」とか思う人もいるんじゃないかと思われますが、ご覧の通り私はどこにでもいるごく普通の弱い人間ですので、たまには何かにもたれかかって休みたいと思うのです。その対象が仏教なのは、恐らく私が最初に触れた思想が仏教思想だったからで、特に意味はないと思います。そもそも私の仏教理解が、ゴータマの自覚したり教えようとしたのと同じだと言う保証は全然ない訳で、その意味では「バモイドオキ神」を信仰してるのと全然かわりゃしないんですが。なお、他人に強制とかはしないんでご心配なく。
「悩みがあったら相談しろ」と言ってくれた方、ありがとう。あなたの一言がなければ、私は私が苦しんでいることすら自覚できなかったでしょう。あの一言がきっかけになって、私は私を立て直すことができました。
安否を聞いてくれた方たち、ありがとう。私は生きてます。生きてることを自覚してます。もうしばらく生きてるつもりですので、皆様、その間よろしくお付き合いくださいませ。