ジグソーパズル

物事に対する人間の「慣れ」と言うのは、本当にすごいものがあると思う。
たとえば、最近のヒロシ。 (角川コミックス・エース・エクストラ)の中にこんなエピソードがある。友人たちと川原を散策中、古いエロ本のきれっぱしを見かけたが、その女優の胸を見ただけで、友人たちは女優の名前を当たり前のように言い当てた。これこそは、「慣れ」の最たるものだと思う。これを訓練とか学習とか呼ぶのはなんかちょっと抵抗があるので。だって、特別に訓練とかした訳じゃないんだから。
さて、図書館内でも実はこういう「慣れ」は存在する。図書館内に本当にジグソーパズルがある訳でもなく。時々みつかる取れたページの切れ端を、元の資料と付き合わせる作業のことだ。この作業には、まさに前述したような「慣れ」が必要になる。

例1

バイトさんたちが角突き合わせてどれだろうと言っていたので、カウンター内で客をあんまり見ないのもアレなので、首を突っ込んでみた。
「どんなページ?」
「これなんですけど。マンガで、原爆実験の様子みたいです。これ、アインシュタインですよね?」
ちらっと見た後、私は確信を持っていった。
「ああ、これは多分『はだしのゲン』だね。ギギギ」
「ギギギ?」
「いや、なんでもない。これには外人しか描かれてないけど、原爆のモチーフと絵柄と、何よりこの看板の書き文字を見れば中沢啓治だってのはすぐわかるね。サイズがB5で、多分最初の方の巻を探してみれば抜けてるのがみつかるんじゃないかな」
告白するが、私は『はだしのゲン』をまともに読んだことがない。だって怖いんだもん。

例2

バイトさんたちが(以下略)
「どんなページ?」
ブラックジャックなんですけど。どの巻のどのページがわからなくて……」
ちらっと見た後、グーグル先生におうかがいをたてること5分で解決した。
「どうやってわかったんですか?」
「まず、病気の名前が出てるだろう。それとブラックジャックのキーワードでググれば、その回のタイトルがわかる。今度はタイトルとブラックジャックでググれば、マニアの作ったページがヒットして、その話がどの本に掲載されたかがわかる。そうすれば、後はISBNコードでうちの所蔵資料と付き合わせれば書誌を特定できるだろう」
告白するが、私は『ブラックジャック』を全部呼んだことがない。だって長いんだもん。

例3

バイトさんたちが(以下略)
「どんなページ?」
「小説なんですけど、もうお手上げです」
ちらと読む。中国風の名前で、子駟と言うのが目につく。そう言えば文章が宮城谷くさいなあ。ああ、そうか。
「これは宮城谷昌光の子産じゃないかな。多分、上巻だと思う」
告白するが、私は宮城谷昌光を読んだことがない。だって(以下略)

例4

ちょっと違うが、まだ映像コーナーがあった頃。映画を上映している画面をちらっと見てから、しばらく考えて言った。
「これ、ラスト・オブ・モヒカン?」
「見たことあるんですか?」
「ないよ」
「なんでわかるんですか」
「画質が最近のハリウッド臭い。荒野の中で、主人公のマッチョマンと騎兵隊が戦ってる。アメリカ初期が舞台だとわかる。マッチョマンの肌が浅黒くて、孤軍奮闘している。なによりあの斧はトマホークだ。以上を総合すると、そういう結論に」

まとめ

このように、本やマンガや映画にも冒頭で言ったような「慣れ」が存在すると私は確信する。そしてこういう「慣れ」、あるいは「勘」と言いかえてもいいものは、学習や訓練をではなく、経験を積む以外に得る手段はないのだろうかと考えてしまう。
こういう暗黙知を、他者に伝える方法はないもんですかねえ?