商業と同人の違い

同人アイテムの商業流通化 - 永字八法の続き。
ちょっと気になったので、商業と同人の決定的な違いについて考えてみた。
結論から言うと、編集の存在の有無に帰結できると考える。
同人では発表される内容は(当局からの法的介入を除いて)作者の全くの自由である。商業では商業主義の名が示すとおり、売れることが目的であるから、作品についてより売れるように作者以外の目で手を入れる必要がある。
この違いが最も大きな違いと思われる。
あるアニメなどは「ありゃ○○監督の読書感想文だろ」とか言われたりしており、チェック機構が働いていないことから、これはすでに商業ベースにのった同人誌と見なすべきであり、逆にただ単に原稿を集めるだけでなく「ここにパンチラ入れて」とか作家に注文をつけるような編集ゴロがいる同人誌は、同人流通の商業作品と見なせる。
しかしながらこうやってコンテンツを分類することには究極的な意味はない。最終的に本(やその他のアイテム)は、売れれば勝利であり、なおかつ人の記憶に残れば正義であり、その目標の前には編集方法や題材や流通方法などと言うのは瑣末な問題である。ただ、商業作品の方が、再版やエンドユーザーたちに対する入手のし易さ、宣伝力などの点で有利であると言うに過ぎない。
作る側からすると、制約があるがコンスタントに売れることを見込める商業か、宣伝を自前でしなければならないが好き勝手に作れる同人か、そういう選択だった訳だ。
ここにamazonのe託が参入し、「制約なく(少なく)、宣伝もできる(してもらえる)」と言う選択肢が出現したことは、特筆に値すると考える。