人間の相対化

考えがまとまんねー。
毎度毎度のhttp://d.hatena.ne.jp/./SAGISAWA/20051130さん。

857 名前:('A`) 本日のレス 投稿日:2005/11/29(火) 01:13:36 0
俺らがAVを選ぶときに「女優の顔より性格だろ」なんて言うバカがいないのと同じように、
女が男を選ぶときに(ry

860 名前:('A`) 本日のレス 投稿日:2005/11/29(火) 02:04:52 0
女優の顔より企画だな。

恋愛資本主義者(男女問わず)は結局のところ、意識するしないに関わらず人間のパラメータ化をしている訳だ。体力・財力・魅力・所持アイテム、そういう記号で他人をとらえ、一元評価し、より高評価な対象をみつけ次第そちらに乗り換える、そういう行動様式を持っている。
このパラメータ化は、しかし人間を部品とする社会機械の維持と言う観点からは正しい。
ある役職は、能力がある程度あれば誰がなってもいいようにできている。また、そうでなければ組織はうまくいかない。「かわりはいくらでもいる」状態が良いとされたのだ。
そこに人格などと言うパラメータは存在しない。
社会全体がそのように考える時に、最下層ではあったとしても喪男もそう言ったパラダイムの洗礼からは無縁ではいられないのではないか。ことさらに人格の良否を主張する喪男は、そう常に叫んでいなければ忘れ去ってしまうことを恐れているのではないか。そんな風に思うことがある。
先日ここで紹介したコスプレえっち ルカがいい例だな。大事なのはそこで語られる属性でありストーリーでありシチュエーションであり、それらを体現する実体(女優)が誰であろうとも意味はない。
少し前ならば、駕籠真太郎凸凹ニンフォマニア (DOコミックス)内の短編が想起されるところだ。
二人の女を二人の男が拉致監禁暴行すると言う内容だが、最後に女が「なぜ私たちにこんなことをするのか」と言う趣旨の内容を叫ぶ。それに対する男たちの返答は「君達は『責められる人』であって、特定の誰かではない」と言い切る。同様に責める側の男たちも、「『責める人』であって、特定の誰かではない」と仮面を外しのっぺらぼうの正体を現す。
全てのものが代替可能である社会においては、人はアイデンティティを確立させるためにどちらかの行動を取る。
EAN:4542375300232