少女病について

屍姫 1 (ガンガンコミックス) - 永字八法の続きかも。
ある特定ジャンルのコンテンツがある。仮にこれを少女病と呼ぶ。
このコンテンツの特徴は主人公は多くの場合少女であり、その少女に対し過剰なまでの精神的物理的苦難を浴びせるところにある。苦難を与えること自体は、最終的なカタルシスをもたらすための下準備として働き、ドラマツルギーとしては王道である。こらえてこらえてこらえて最後に大逆転と言うパターンだ。では何が普通のジュブナイル少女病を分かつかと言うと、成長性の過多によるものだと考えられる。
多くの冒険物、ジュブナイルでは、主人公たちは苦難を通じて人間的にも技術的にも成長を遂げる。いわば、苦難は創造主(作者)から与えられた成長のための試練と言える。けれど少女病の場合は、それは苦難のための苦難であり、多くは成長をもたらさない。
少女病の根底にあるのは、少女の苦しむ姿を見たいと言う願望であり、そのためであれば少女が最終的に勝利しなかった(苦難に負けて潰れる)としても問題はないのである。ただ、勝利してくれた方が、読者の罪悪感は薄れやすく、読後感が爽やかになる。一昔前の多くのエロ漫画でレイプされた少女が「でも気持ちよかった」とラストでふざけたことを言うのと同じである。
何故少女でなければならないのかを問うならば、「じゃあムサい親父が苦難にあえいだりする様が見たいのか」と逆に問い返されるだろう。あなたが腐女子であれば別だが。そういう人はお金がないっ (ECLIPSE ROMANCE)でも読んでてください。
また、苦難は天災的なものが多く好まれる。苦難そのものは悪意を持たず、苦難を配置する創造主(作者)が悪意を持っているのである。作中の登場人物はおおむね、少女が苦難にいじめられることに対し、同情はするが仕方がないことだと受け入れている。件の少女すら受け入れている場合が多い。苦難を与えつづけるお膳立てを整え、しかもそれを当たり前の物だと作中人物たちが納得していれば、少女病は成立したも同然だ。贅沢を言えば、作者の悪意すら隠蔽(読者に感じさせない)すればよりエレガントだ。GUNSLINGER GIRL 1 (電撃コミックス)がその最たるものであろう。
少女病コンテンツはいくつかのファクターで分類できる。
1.目的の有無
a.少女はなんらかの目的を持ち、その実現のために敢えて苦難に身を投じる。(多くのコンテンツ)
b.苦難の方が少女を目的とし、少女は生き残るために闘争を選ばざるを得ない。(剣の国のアーニス (MGコミック)
2.少女の行動
a.少女は必ず、苦難に対し闘争的な手段で対抗しなければならない。恐怖におびえる少女を観賞するのはまた別な趣味になってしまう。(→ホラージャンル)
3.少女の意識
a.少女は苦難に対し苦難であると感じている。(泣いたり喚いたり逃げ出したり。鋼鉄の少女たち (1) (角川コミックス・エース)
b.少女は苦難に対し苦難ではないと感じている。少なくとも表には出さない。(他の苦難に対し冷静に対処する全てのコンテンツ。屍姫 1 (ガンガンコミックス)が最近か)
4.物語の終焉
a.少女は目的を達成する(普通)
b.少女は半端に目的を達成する(キリエ 1―吸血聖女 (少年チャンピオン・コミックス)。ラスボスと戦うが逃げられる)少女に対する罪悪感と、達成できないことで少女に失望を与えいじめようとする意識の妥協点。
c.少女は目的を達成できない(多くの女戦士系エロ漫画。触手等に犯されて奴隷になる)ここまでくれば明確なSである。
5.少女そのもの
a.少女は普通の少女である。(鋼鉄の少女たち (1) (角川コミックス・エース))簡単に死んでしまうため、苦難を調節するか補充を考えなければならない。
b.少女は卓越した肉体やスキルを持っている。(山本貴嗣のヒロインたち、GUNSLINGER GIRL 1 (電撃コミックス))存分にいじめられる。
c.少女は人間を超越している。(屍姫 1 (ガンガンコミックス),キリエ 1―吸血聖女 (少年チャンピオン・コミックス))存分にいじめられるし、独特のいじめ方もあるかも知れない。
こう言った少女病は何も日本だけのものではなく、香港映画界にも見ることができる。映画通ならば知っているかも知れないが、一時期の香港映画のアクション女優の扱いはまさに少女病地味ている。
火薬を使ったシーンの撮影をスタントなしに行い、その結果女優が骨折などの負傷をしても「じゃあ、骨折したシーン入れるから」で済ませてそのまま撮影続行。女優もそれに異を唱えず、唯々諾々と痛む脚を引きずって撮影をこなす。できた映像も去ることながら、撮影風景そのものが少女病である。