屍姫 1 (ガンガンコミックス)

屍姫 1 (ガンガンコミックス)

屍姫 1 (ガンガンコミックス)

勝手に動き出す死体「屍」があり人に仇なす世界。それらに対抗するためある仏教の一宗派が心構えの違う屍を組織的に用いて屍を調伏している。その(主に少女の)屍を「屍姫」と呼ぶ。
ヒロインは享年16歳の屍姫マキナ。担当の僧侶とコンビを組んで108体の屍を狩り、成仏することを目的とする。そんなあらすじ。
……ああ、「少女病」の系譜なのねこれ。
女の子を悲惨(物理的精神的問わず。多くは併用)な境遇に置き、そこで必死に足掻く女の子の生き様を描くタイプの話だ。それを見て感動したりちんちん立てたりするうかどうかはそれは読者の素養であって作者の素養ではない。まあ、作者はちんちん立ててるかも知れないが。
少女病」の作品を他に上げるとすると、鋼鉄の少女たち (1) (角川コミックス・エース)は当然そうだし、キリエ 1―吸血聖女 (少年チャンピオン・コミックス)杉村麦太もだいたいその作品は「少女病」にかかっている。GUNSLINGER GIRL 1 (電撃コミックス)は意図的に(そしてお涙頂戴の方向で)「少女病」をやっている。山本賢二の場合は女もひどい目に遭うがしかし男女平等に殺してるだけだと思うから問題はないな。ちなみに山本貴嗣の場合は同じく女性を痛めつけるのがお好きだが、少女だとそれじゃ死んじゃうだろってことでマッチョな女性を描いている。つまりはベクトルの微妙な違いだ。
少女病」の作品においては、少女をひどい目にあわせればあわせるだけ大体においていい。しかしそうすると、山本貴嗣の言うように、簡単に死んでしまう。当たり前だ。無間地獄(苦痛に間が無い)なんだから。でもそれじゃあ話が終わってしまうし何より面白くない(誰が? 誰に?)。な訳で各作品色々趣向を凝らしている訳だ。
鋼鉄の少女たちの場合は、死んでもすぐに補充ができる軍隊の話にしているし、吸血聖女の場合はヴァンパイアにしてタフネスを驚異的に高めてある。ガガガの場合はサイボーグにすることで記憶と引き換えに死から遠ざけられ、しかもそれが新たな女の子いじめのネタになると言う循環構造になっていて実によくできている。
ではこの作品の場合は。すでに一度死んでおり、強力な再生能力を持った動く死体で、使い捨ての道具扱いを受けている訳だ。毎回毎回バラバラにされたり食われたりしてボロボロになりながら戦っている。なかなかいい設定じゃないですか。おまけにミニスカセーラー服&ローファーで血みどろアクションですよ。趣味丸出しです。坊主は男ばっかで、屍姫は姫と言うくらいで女の子ばっかり。誰の趣味ですかってなもんですよ。
と言う訳で「少女病」に罹患した読者の方には大変おすすめです。しかしなあ。あのスカートの長さであれだけアクションやっておきながら一度もパンチラがないと言うのは誉めるべきなんかどうか。スクウェア・エニックスさん、みかにハラスメント (ガンガンコミックス)なんて物を世に出しておきながら一体今更何が怖いと言うんですか全く。
ちなみにヒロインの名前がマキナなのは、当然「容器」を意味するラテン語マキナから持ってきているんでしょうな。作者は中は空っぽですと言っている訳だ。物語は空の容器を満たす旅な訳だ。いっぱいになった時、どうなるんだろうね。