文体の研究

最初に結論を置いておく。今更指摘されるまでもないはずのことだが、明文化することで何かが変わると信じる。
「一次創作と二次創作では、要求される表現技法は全然違う」
なぜ、そのように思ったか。
ごく大雑把な分類だが、多くの一次創作(二次創作の対称語としてこう呼ぶ)は、完全なる一人称が多く、その二次創作は三人称が多い。
なぜか。
一次創作は読者(プレイヤーを含む)をあるキャラクターに仮託させ、そのキャラクターを通じて世界や他のキャラクターを解き明かす過程を見せる場合が多い。読者にとって未知の世界をキャラクターにとっても未知の世界とすることで、キャラクターの経験とそれに対するリアクションと、読者自身のそれとの間にずれが生じにくくなる。感情移入を維持しやすくする効果が期待できるのだ。(ミステリー等では、客観を排すことでトリックの難易度を一定に保つ効果もある)
一方、二次創作では、読者にとって世界や人物はすでに既知のものである。読者は特定のキャラクターへの呪縛から解き放たれ、神の視点から物語を俯瞰することができる。二次創作の創作者は、既知の世界に既知のキャラクターを再配置し、そこから変種のストーリーを生じさせられる。そして読者はそれを見て楽しむことができる。(世界やキャラクターが既知である故の限界もそこに生じるのだが)
さておき。
現在我々が作っているオリジナルスクリプトに話を限定する。
そうすると、一次創作と二次創作では、使っている素材が同じと言うことになる。なので後はどのような表現技法を使うかがポイントになる。
一次創作が一人称主観による表現をメインにしているので、その表現技法は多くドキュメンタリー映画などから流用できる場合が多い。主観による表現なので、幻覚や「こんな風に見えた」や回想と言った要素を盛り込みやすい。
一方で二次創作は三人称主観による表現が多いため、より娯楽映画的、演劇的な技法を取り込みやすい。その素材の特徴上(動かないキャラクター、動かせない背景)により、舞台演劇的な技法が相性がいい。
イメージとしては、動かない舞台があり、そこにキャラクターが客(読者、プレイヤー)に向かって一列に並び、面と向かわず会話するのである。演劇(的)であるため、会話する者同士が目と目を合わせているとむしろ不自然になってしまうのだ。補助としてカメラワークでカメラを左右に動かしたり、特定のキャラクターをズームアップ等もあるが、基本的には舞台は横一直線の平面になる。(今回のオリスク記述言語もこれをイメージしている)
オリスクを作る場合、「お芝居」と割り切るといいかも知れない。そういうオチ。
参考

[id:pmoky:20050605#1117969039]
基本はこれだよなあ。
[id:NaokiTakahashi:20050607#p2]
主張はもっともだ。もっと表現技法に幅があってもいいと思う。……まあ、二次創作で、自分で素材を作らないのが前提だから、あるものでいかに頑張るかが我々の課題だが。