罪と罰と悪

ニュースを聞いてから、色々考えてしまった。
「ヒドイ奴」「死刑にすればよかった」
そう言い切るのは簡単だし楽だ。けれどそれでは思考停止だろう、などと思ってしまう。人を非難するにも論理を求めてしまうとは、やれやれ難儀な性格だ。
結局のところ、行為そのものよりも、その行為を可能とする犯人に対して反応しているんだろう。
見たところ、これらの元少年たちは非常に低いレベルでの利己主義者だ。興味の範囲が自分自身の快楽探求にのみ限定されている。
それだけならば実はこの世にはそういう人間はゴロゴロしているのだが、この元少年たちにはさらに「感情移入能力がない」と言う要素が加わる。ついでに、「低い知性」もあるとは思うが。
感情移入能力がないという事は、他人の痛みを自分の痛みとして理解できないことになる(同様に、他人の喜びを自分の喜びとして認識できないことでもある)。そうなれば、この元少年たちにとって他人とは必要とあれば何をしてもいい存在でしかなくなる。道を邪魔する他人がいれば蹴って動かせばいいのだ。
しかしこれでも、高い知性があればまだ救いがあるのだ。蹴って他人を動かせば、自分の脚も痛むかも知れないし、(それまでの経験から)他の人間がとやかく言ってくるのは確かだ。それは面倒だから、言葉で動かしたり金で動かしたりする手段を取る。これでは心の交流はないが、社会を平和に維持したまま自分の目的を達成するには充分だ。
まあ、人間、理解できないものを恐ろしいと感じて排除しようとする。何か(その社会通念にとって)異常なことをする人間がいると、まずは理解しようとし、それができなければ排除する。これがパターン。

彼らの目的は何ですか? 多分、一時的な快楽。
彼らは被害者に恨みがあったのですか? いいえ。たまたま通りがかっただけですよ。
彼らがあんな行為をしたのは、思想的な背景があるのですか? いいえ。
彼らに精神的な異常はなかったのですか? ないようです。先の裁判の結果を見る限り。
彼らに判断力はないのですか? 自分の快楽に限定して。
彼らは反省しないのですか? 何について? 彼らの中で他人を傷つけることは禁忌ではない。
彼らは自分たちが同じ目にあったら、などとは考えないのですか? そういう想像力を持っていないのでは?

なんと全てがないないづくし。自分との共通点が見つけられなかった人は、「理解できない」と判断し、そこで思考停止。無根拠に批判するしかない。
実際のところ、因縁をつけてぼてくり回して監禁するなどと言った行為そのものは、今の日本毎日どこかで起こっているくらいのできごとのはずだ。それでもこの事件が取り上げられ、反響を得ると言うことは、そこに特異性があるわけで。
「人間が人間を傷害監禁する」なら珍しくはないが、「人間でない何かが人間を傷害監禁する」のであればそりゃあ事件にもなる。ジェイソンかフレディが出没したようなもんだ。
人間社会は人間だけのものだ。人間でないものはさっさと退場させるのが維持するコツじゃあないかな。