怪人21世紀 中野ブロードウェイ探偵 ユウ&AI(講談社ノベルス)

怪人21世紀 中野ブロードウェイ探偵 ユウ&AI(講談社ノベルス)

怪人21世紀 中野ブロードウェイ探偵 ユウ&AI(講談社ノベルス)

……かなりイタい。
何がって、コンピュータ万能の時代設定もだが、主人公の万能度合いも相棒人工知能の万能度合いも何もかも。いきなり主人公はスーパーハッカーと定義されても、そこにいたるプロセスがわからないのでそれでいいのかと言う疑問を持ってしまう。これがケチのつき始めで、特に相棒の人工知能についてはイタすぎる。これを設計し育てた主人公は間違いなく変態だ。
まあ、これは私見だが、私はコンピュータに名前をつけて可愛がるような奴が嫌いである。いきなり自分の主義主張を否定するようなことを言っているが、そこにはきちんとした理由がある。たとえば、動物に名前をつけて可愛がることには意味があると思う。動物にはそれにこたえるだけの自我と潜在能力がある。少なくとも、これまでの人類の歴史の中でそれがあることは実戦で証明されている。
だが、コンピュータには。少なくとも現在のノイマンアーキテクチャの系譜のコンピュータにはそう言った働きかけに応える能力はなし。それどころかそういう働きかけがあったことを知覚することすらできない。コンピュータに名前付けをするような行為は、産業革命以後の知識階級の中で流行った馬への教育に似ている。彼等は「充分に早くから丁寧な教育をすれば馬に言葉をしゃべらせることが可能だ」と信じて時には実践していたからだ。そして結果は当然の如く全て失敗であった。
もし私がコンピュータに名前をつけることがあるとしたら、それはそのコンピュータが何らかの理由により自我を持つ可能性があることを確信した時だけである。それ以外の名前付けは、ただの醜悪な自己満足にしか思えない。
まあ、形式的な擬人化まではどうしようもないので目くじらを立てたりしないが。
話を元に戻す。
この人工知能の強力さは作中あらゆる手段で説明されるが、それらよりももっと明記されてしかるべきは、その言動のイタさである。なんと媚びを売るのだ。もちろんそれは愛する(?)主人公への媚びなのだが、作者の意図は当然読者を向いている。何故ハードウェアに発電をさせている人工知能が、寅縞ビキニで「だっちゃ」と言わねばならんのだ。この人工知能が自発的にそう言うことを覚えたのだとするとそれはやりすぎと言わざるを得ないし、主人公が覚えさせたのであればそれは主人公がハッカーなどと言ってはいるがかなる古いタイプのオタクであると言わざるを得ない。
そこまでやっておいて、主人公はさらに「人工知能に自我は芽生えるのか?」とまで悩んでくれる。お前一体何がやりたいのか、と。
一気に読み上げる文章の巧みさはあるものの、ネタとしては非常に大きな疑問符がつく作品だった。
ボディを持たないコンピュータ上の人工知能AI(アイと読む。個体名。最悪)は、アイドルのボディデータを取り込んでそれをベースに画面上に自分を表現する。自我はあるのかないのかすら不明。非常にきめ細かく自発的に主人公の先回りをして動作するが、その性格設定はイタいの一言。エロゲーの中でしかお目にかかれない「自分を絶対に好きでいる都合のいい女」そのものである。
ちなみに作者は、ファミ通などで小説を連載しているあのお方。文章はうまい訳だ。



※2005/04/22 Fri 11:07:57 に再編集されました。
※2004/11/01 Mon 19:24:05に再編集されました。
※2004/10/30 Sat 17:14:09に再編集されました。