ある属性について

ぴことぴけ(1) (Gum comics)中島零)を入手すると同時に中古で「スーパーロイド愛」(このどんと)なんぞを読んでしまったもので、ついでにある変態と言う名の紳士がその妄想を実行にうつしてお縄になった事件に関連して、我がブログにふたばから一瞬大量のアクセスがあったこともあわせて、とある属性のエロについて考える機会があったので、それについてちょいと語ってみる。
後、参考資料として、下記URLを読んでおくとよろしいかと。
サイボーグ - 鳶嶋工房ゲームザッキ
件の変態紳士は、取り調べに対し「(言うことを聞かせられる)肉?奴隷が欲しかった」とか言った趣旨のことを発言していると言う。その真偽についてはどうにもはっきりしないが(私は警察の取り調べに対しては可視化に全面的に賛成である。密室取り調べなんぞ誰のためにもならん)、その言葉は、一般化された人間心理的には、それほど不自然とも思えない内容であろう。理解はするが共感はしないとかそう言った意味で。
つまるところ、人間には支配欲と言うものが存在しており、他者の持つ能力や権利や財産を制限することで快感(脳内麻薬の分泌)を得られるような構造になっている。また、それは必然的にエロスにも関係している。ただ、この説明では一般化しすぎて何のことやらだと思うので、もうちょっと具体例を挙げて説明する。
もっともわかりやすい例が、エロゲーを中心とする特定方向コンテンツ(ぶっちゃけ、ポルノ)に登場するメイドさんであろう。
メイドさんの場合は、精神的・社会的な権利の剥奪(主従関係を結ぶ、あるいは強制する)がメインであって、肉体的・物理的にはそれほどでもない(まあ、今現在のエロゲのメイド服は、十分拘束衣として機能すると思うが)。
これがもっとひどくなると娼婦だの奴隷だの監禁調教だのとすすんでいくのだが、ここまで来ればフェミ(笑)が日頃から叫ぶように「(性の)搾取である」と理解してもらえるだろう。搾取とは、財産の制限でもあるし、対象の持つ生産能力の用途の自己決定権を奪う行為でもある。
なお、ここで注意したいのは、快感を得るのは剥奪者だけの特権ではなく、剥奪された者を見る第三者もまた同様の快感を得られる点である。人間の持つ感情移入能力がここでは使われている。(どっかの研究成果では、いわゆるいじめっ子は、他人の苦痛を感じる能力がない訳ではなく、あるからこそそこから快感を得て、いじめを継続するのだとか)剥奪の現場に立ち会わずとも、剥奪された者を見るだけで満足を覚えられる理由はここにある。(そしてそれはフィクションを読むだけで満足できることも意味する。オタク万歳)
さて、物理的な能力の制限剥奪は、色々と倫理的な抵抗が強いが、その抵抗を乗り越えた先にあるのが、肉体に対する永久的な剥奪である。拘束衣どころではない強力な剥奪にタトゥーやピアスと言ったものがあり、さらにその先にあるのが件の事件で有名になった四肢欠損である。この剥奪行為を故意に行ったとすればそれは相当な倫理的抵抗があると推測され、そしてそれ故に得られる快感もまた強力であろう。背徳は快楽の友である故に。
フィクションの世界であろうとも、これらの行為には抵抗があるため、様々なエクスキューズが用意されることになる。曰く、事故等でそうせざるを得なかったのだ。曰く、本人がそれを望んだからだ。曰く、社会の歪みが強制したのだ。
しかし、どんなエクスキューズを与えようとも、四肢をもがれた人物を見て快感を感じる性が人間にあることは否定できない。
四肢欠損は現実で出会える限界の被剥奪者であるが、フィクションではさらにその先がある。それがすなわち、全身サイボーグである。四肢欠損どころではない。脳(と場合によっては脊髄)以外は全部奪われてしまったのだ。そこにあるのは、どんなに精巧で人間の限界を超えた品であろうとも、代用品なのだ。多くの場合、性的能力まで奪われることになり、特に女性に対しては特権的生産能力である生殖能力ですら奪われた状態だ。(ドラゴンボールの18号はその意味でなんちゃってではあったなあ)
こう言った被剥奪者を扱ったポルノ漫画としては、氏賀Y太このどんと・故岡すんどめなどがその構造を自覚的かつ効果的に扱った人物として挙げられるだろう。そして最初に挙げた中島零だが、彼が自覚的かどうかはいまいち判断ができないが、「ぴことぴけ」は相当な、同時期に手に入れたエロ漫画「スーパーロイド愛」に比してもさらに強烈な剥奪を見せてくれると言うのが面白い点だ。
「スーパーロイド愛」では、ヒロインの愛は後半、肉体を奪われ、恋人を奪われ、さらには人間と言う社会的地位すら奪われる。(与えられるのは人間を超えた力。しかし力は強ければ強いほど同時に枷としても働く)「ぴことぴけ」ではヒロインの鏑木璃子も同様の経緯をたどる(恋人はいないが)。加えて、人間だった頃の記憶の一部(名前とか)までも奪われる。
こういう「剥奪」の視点をもって「ぴことぴけ」を読むと、相当にエロいことがわかる。事故でサイボーグにされただけならともかく、備品として警察に配備されることを半強制され、食事の快楽も制限される。入浴と歯磨きと排泄の快楽は制限されていないが、しかしそれは人間ではなくなったことを再強調するための儀式と考えれば、やはり残酷であろう。ああついでに、人間だった頃はそれなりにバストがあったが、サイボーグにされた時点で貧乳になっている。これも剥奪の一種だろう。
「私は人間である」と主張するも周囲から否定されるのは、理解者の剥奪であるし、人間でなくした張本人に「やっぱり、そう言っても無駄だっただろ?」と言われるのはさらに喪失感が増す行為だ。
実際のところ、攻殻機動隊草薙素子も状況は同じようなものである。彼女は人間として認められてはいるが、知らない人間からは人形扱いされることもある。殿田大佐とか、原作のメガテク・ボディ社の人とか。彼女自身人権には懐疑的だし(「理想と現実の界面に生まれた言葉。見たことはない」)、彼女が死ねば墓もなく、残りはサンプルとして回収されることが決まっている以上、実のところ草薙素子もまた、同様の「剥奪され尽した」エロさが見いだせる。ただし、彼女はそういうタイプのエロとして見るには、雌ゴリラのように強すぎてうまくいかないが。
愛・ぴこ・素子の三人は同じような境遇だが、愛の悲惨さはその悲惨さが目的のためであり、ぴこはコミカルな描写によってそれが覆い隠され、素子は強さによって境遇を跳ね返していると分析できよう。
ちなみに脳以外の総てを奪われた彼女たちだが、非剥奪者としてはさらに上がいることを近年我々は思い知らされた。銃夢 Last Orderガリィである。全身サイボーグであるはずの彼女は、ついに脳までもが奪われてしまった。借金取りが多重債務者から新たな質種を見つけたような衝撃であった。
まとめると、何かを剥奪された人物はエロい。これに尽きる。後は、何を奪うか、そこに作者の独創性が試される。

「剥奪された者」の似合うストーリー

  • 剥奪した者への復讐
  • 剥奪された物を取り返す旅

これに尽きる。手塚治虫どろろ」の頃から変わってはいない。「マダラ」なんてのもあったなー。
以前もどこかで触れたが、村上某によると、物語とは「誰かが穴に落ちて這い上がる」ものであり、「なんらかの損害があってそれを補填しようとする」のがもっとも基本的な骨格であるので、「剥奪された者」は常に主人公に成り得る。

余談。その他の「剥奪された」女性キャラ列伝

ナカガワヒロユキ舞-HiME小説

美優・グリーアはアリッサ・シアーズの「姉」たちのなれの果てのような描写がなされている。アリッサに対する気持ち以外の総てを奪われたと見てもいい。

華不魅グラマラス・ゴシップ

「剥奪された者」のオンパレード。ヒロインのエンヤ自身がバリバリに脳改造された戦闘サイボーグであるが、特筆すべきは暗殺者姉妹「紅蠍子」と「黒蠍子」であろう。全身サイボーグなのは間違いないが、実は一つの脳を左右に切り離し、人工脳で機能を補って二人の人間にしたてあげたマッドな一人である。

冲方丁オイレンシュピーゲル」と「スプライトシュピーゲル

四肢をサイボーグにした少女たちが戦ったり傷ついたりキャッキャウフフしたり。シャワーを浴びる時は必ず二人以上で。義肢が誤動作して、水たまりで溺死するかもよ? もちろん、マルドゥック・スクランブルもお忘れなく。萌えるよ!

アン・マキャフリーの歌う船シリーズ

知能は高いが重度の障害を持ってうまれてきた子供を、全身サイボーグっていうか脳だけ取り出して宇宙船の中枢に据え付けて、数百年は働かないと返せないほどの借金漬けにしてこき使うと言う世界。それだけでもかなりの剥奪度合なのに、さらに強烈なネタがある。
宇宙船心理学が発達しており、これらの子供たちは生身の肉体を失うことに対する恐怖や忌避を感じないように誘導されているのだ。通常の人間としての育成そのものを剥奪されており、この説明はじわじわくる。