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コメント欄が面白いなあ。

高橋直樹氏は「ポルノは性差別に根差している」と言う自覚を持っていて、それはもう私も全く疑うつもりもなく、それどころか(これは高橋直樹氏もわかっているのだろうけれども)「ありとあらゆるコンテンツには差別的な表現が含まれる」とすら言いきれると思っている。(ただまあ、差別的な表現を主眼に置くか置かないか、と言う差異は厳然として存在し、また峻別されなければならないが)
単純な話、「差別をやめよう」と言うコンテンツは、前提として「そういう差別があるんだよ」と言うところから始めないといけないので、差別について触れない訳にはいかないのだ。
じゃあ、それとは関係ない娯楽小説なんかではどうなのか、と言えば、現代社会には差別があふれており、それをモデルにする以上、大なり小なり同じ差別性をそのコンテンツは持つことになる。時代小説なら、当然ながらその時代時代の差別性を受取る訳で。
では、人間社会とは関係ない世界を描いたコンテンツ(SFか? SFなのか!?)があったとしたら、それはそれで「その世界独特の差別」を描く必要があったりして、必ずしも無縁ではいられない。それに、突き詰めるとそういうのってコンテンツ、物語ではなくなっているような気がする。論文が読みたい人は学術書のコーナーにどうぞ。
さらには、政治的に正しいあるコンテンツがあったとして、しかしそれは別の時代別の地域別の文脈からすれば正しくないことが普通にあり得るだろう。ルネサンス期に執筆された小説は、その時期においては政治的に正しいかも知れないが、現在だと、はてどんなもんでしょうか。
視点を変えて、宗教書ならどうだろう。人の道を説く宗教の教典とかなら、きっと差別なんかとは無縁と思ったら、実を言えばこれが一番差別的だったりする。インドのカースト制は差別そのものだし、昔の聖書には「○○人を見つけたら殺しとけ」と書いてあったりする(ちょっと原典がみつからないんだけど)。仏教はだいぶ差別に無縁だけど、「僧侶は敬っとけ」と逆差別を推奨したりする面もある。(逆差別も差別だよねえ?)第一、宗教による差別は政治的に正しくない場合も多い。
そんな訳で、ありとあらゆるコンテンツから差別的表現を見出すことが可能な訳で、正直それに対して目くじらを立てることこそバカバカしい。しかし差別はいかんと言う現在の巨大な建前があるので、表現者に許されているのは、

  1. 差別を助長することが目的ではない。なのであったとしても大目に見てね。修正もできる限り対応するから。
  2. 差別を根絶する戦いを描いたものである。つうか、お説教。
  3. 差別的表現が含まれていますので、そう言うのが苦手な人は見ないでね。

と言った予防線を張ることだけである。
ほとんどが1で済ます中、俗に言うフェミの人は2を選択し、自覚的なポルノライターは3を主張するのかな。
saimon氏の発言で少しはいけると思うのは、

saimon 2008/11/21 22:49 そもそも処女幻想の連中のほとんどはそれが差別的であることを自覚していないわけで、そこに「それは差別的だ」と突きつけることには十分に意義がある。

くらいかなあ。ただ、それで「処女幻想が差別」であることを処女厨が理解したとして、それを改めるかどうかは別問題だよな。
そもそも、「結婚する相手としては処女がいい。少なくとも、性病等で悩まなくて済む」と言う(いくらか薄い)実利に基づいて処女を優先すると決めた人間に対し、「それは差別ですよ」と言っても「はぁ?」てなもんだろう。痛い処女厨は差別主義者かもしれんが、差別的ではない理由による処女好きまで一緒にするのは乱暴だなあ。