思考停止

「○○市立図書館は、『○○市民の役に立つ本』を収集するよう努力しています」
たとえば、こういうことを言っている図書館があったとして、それを聞いた人はどう思うでしょうか。
「なるほど、素晴らしい」と思った人、あなたは善人ですね。どうか騙されないように生きてください。今後の人生がとても心配です。
何故、心配か。耳触りのいい言葉を聞いただけで、そこで思考停止しているからです。そこで一歩立ち止まってちょっと考えてみると、冒頭の言葉はとても曖昧なことに気付くはずです。もっと突き詰めて言えば、何も言ってないに等しいことに。
「役に立つ」の基準がわかりません。市民と言う言葉の中には、今日の夕飯を何にするか迷う主婦や、レポートの提出を控えた学生や、暇を持て余した年金生活者などあらゆる老若男女がいます。たとえば彼(女)等に必要な資料とは何でしょうか。まあ、料理の本、学問の本、小説や伝記などがあるでしょう。では、それ以外の資料は必要ないのでしょうか。そして、必要とされる資料もまた、ある市民からは不要と判断されるかも知れません。予算には限度があります。資料を入れると、「何故こんな不要な資料を購入したのか」と責められ、資料を入れなければ「何故こんな必要な資料を購入しないのか」と責められます。
『○○市民の役に立つ本』とは、「この世にあるおよそ全ての資料」と同義にもなりますし「何もない」とも同義になり得ます。全く曖昧で定義できない言葉です。
こんな選書基準が役に立つのでしょうか。
近代以前ならいざ知らず、現代では「法律は多様に解釈できるようには作らない」ことが鉄則です。これは誰かから習わなくても納得していただけることだと思います。自分勝手な解釈をして法を捻じ曲げようとする人がいたら、それはおかしいと思うでしょう。だから、最初からなるべく捻じ曲げられないように作るのが道理です。(もっとも、人間のすることなので完全はないのですが)
そうやって日本でトップクラスの知能をもつ人々をフル稼働させて作られた霞が関製の法律と比べると、冒頭の条文は全くお粗末なものと言わざるを得ない訳です。
ゲームのルールならまだしも、公的なルール(法律や条例)に対して敏感でない人、考えない人には、なりたくないものですね、お互いに。

なんでいきなりこんなことを

ある人物が、「○○図書館には○○市民に役立つ本を入れて欲しいですね」とか言い放ったので気になって。毎日を平穏に過ごす一般市民が言うならともかく、仮にも公務員である教師がこういうセリフを言うのは正直辞職をオススメしたくなる事態だと思うので。公務員の行動を規定するのは法であり、その法の意味するところに敏感でない公務員に一体何ができるのかと、下っ端公務員の私なんかは思うのです。