エクスプロイテーション補足

全てのコンテンツにエクスプロイテーション要素は存在するとは言ったが、実際はエクスプロイテーションとそうでないコンテンツの境が曖昧なのが正しいと思う。
アピールする層を定め、その層の嗜好をマーケティングし、その層が一番喜びそうなキャラクターに一番喜びそうなストーリーを演じさせる。この手法自体はエクスプロイテーションもそうでないコンテンツも全く同じである。
エクスプロイテーションエクスプロイテーションたる理由は、企画の意図するところに起因する。そしてそれが誰にも証明できない心情的なものである限り、グレーゾーンはひたすら拡大するだろう。
たとえば、ブラックプロイテーションの場合、何故これがエクスプロイテーションとして目されているかと言うと、この映画のフィルムに写ってない部分は、ほとんどが白人によって固められていることに起因する。
つまり、白人層が、黒人低所得層からさらに小銭を巻き上げるために作ったのが、状況からして明白だからである。黒人が黒人を啓蒙するためにこのような映画を作ったのだとすれば、エクスプロイテーションなどと言う言葉はできなかっただろう。そしてこれはあくまで状況証拠でしかなく、恐らく関係者全員を締め上げても決してエクスプロイテーションの目的で作ったなどとは言わないだろう。
「作者の意図と、消費者がその作品から何を読み取るかは全く関係がない」のは、作者と著作と消費者の関係を語る上で常に意識しなければならないことだが、エクスプロイテーションはこれを逆手に取った存在とも言える。人間は悪意を持って快い物を創り出せるのだ。偉大であると同時に恐ろしい存在である。