憎悪の不在

事故の詳細 - 永字八法の続き。
今日、追突車の運転手が菓子折り持って挨拶に来た。ハタチの遠距離通勤者だそうだ。
そして訥々と、今回の件が警察に出されたら累積免停になること、そうすると会社の仕事が出来なくなることを訴えてきた。
しかし、ではここで私が警察に診断書を出さなかったらどうなるか。事故ではなくなるので、保険会社はお金を出す義理はなくなる。私の損害、原付は廃車、ヘルメットも廃棄、溜まった医療費、それだけではなく今後半年くらいは私の体に何か異変が起きた時に出す追加の医療費。それら全てをこの若者が自腹を切らなければならないのである。
正直言って、それができるのか? とても疑問だ。
たとえばこれが、私が一ヶ月入院するような大事故だったら話はスムーズだったろう。若者には免許取消&交通刑務所でお勤め、私は保険屋から全部出してもらって骨休め、何の抵抗もなくそうしていただろう。
ところが私は、朝事故って昼には自分の足で退院し、湿布貼って二三日ゴロゴロしてたら普通に事務仕事が出来るくらいには回復してしまった。職場の人間には「頑丈すぎる」と呆れられた。何より、私には若者に対する憎悪がない。
確かに、一歩間違えれば死んでいた事故ではあるのだ。色々な好条件が重なってこの程度で済んだことをどこかの誰かに感謝するべきだろう。しかし、事故はあっと言う間の出来事で、私は運転手の顔すら見ていなかった。だからだろうか、私にはこの運転手に憎悪とか嫌悪とか言った感情が湧いてこないのだ。むしろ、「滅多にできない経験だった」とバカポジティブに感じる部分すらあるのだ。私よりもかえって家人や話を聞いた知人たちの方が目の色を変えている。
たとえこちらが被害者なのだとしても、他人に罰を与えると言う行為には、強い感情か強い意志が必要なのだと今回のことで思い知った。
診断書を出すか、出さないか。
私の中に憎悪がいないため、感情はこの選択の基準にならない。純粋に私の倫理だけが必要とされているようだ。自分のことなのになんと他人事のような選択か。
診断書を出さなかった場合、若者は自腹を切り、恐らくは分割と言うことになるだろう。若者はそれを誠実に履行するだろうか。それとも途中で逃げ出すだろうか。私には人を見る目が要求されているのだろうか。それとも、そのような要求自体を不当として跳ね除けるべきなのだろうか。
こんなことで悩んでいる俺は多分馬鹿なんだろうな。