最終兵器彼女

主人公とヒロインの苗字が最後まで出てこなかったり。全く希望のない最終話だったり。一体何が原因で戦争が起こってどんな経過で地球環境が破壊されたのかの説明が全くなかったり。とは言え、そう言う主人公とヒロイン以外のことについてばっさり切り捨てることで独特の世界を展開し、またテーマを明確にすることに成功してたりします。
ところで、この手法で最も成功したのは実はちびまる子ちゃんだったりします。あれは主人公のまる子(子供の視点)で認識できる範囲の世界しか描かないことで、他の凡百のコピー(子供を主人公にノスタルジーを刺激するだけ)の追いつけないところにぶっちぎりで走り去ってしまった作品です。まあ、最終兵器彼女ちびまる子ちゃんを比べるのもどうかと思いますが。
作者のあとがきで、「事務所への通勤電車の中で……」とか「慣れない経営者として……」とか「女房にも苦労を……」とかのセリフに、漫画家の高齢化に伴うライフ・スタイルの変化を否応なしに思い知らされたり。すでにプロと呼ばれる漫画家が、家内制手工業で漫画を描く時代は終焉を迎えたのでしょうか。いつまでも残る『作品』としての漫画は姿を消し、消費される『商品』としての漫画が世の中に溢れかえり(……あ、エロ漫画家は間違いなく最初から『商品』であろうと思われ)。
けれども、工業製品のような大量生産の果てに、ほんの偶然、奇跡のような傑作が生まれることも、あるのでしょうか。「千に一つ(ワン・オブ・サウザンド)」のように。そうなるかも知れないと、それを救いとして描き続けることが今の漫画家を縛る枷のような気がします。